闇夜の訪れる時間帯が早くなり、七時を過ぎると、辺りは静けさとともに深い闇に包まれるようになった。深い闇のため、外の世界の様子がわからないが、窓ガラスに付着する雨滴の様子を見ると、今は雨が降っていることがわかる。
夕食を終え、就寝に向かうこの時間帯は、いつも不思議な想念が湧き上がりやすい。突発的に、輪廻という現象について考えていた。
私たちが何かから生まれ変わり、何かへ生まれ変わるかは不明である。しかし、私たちが何かから影響を受ける形で生まれ、何かへ影響を与える形でこの生涯を閉じていくということは言えそうだ。
ここで述べている「何か」とは、人であり、他の生物であり、何らかの事物全般を指す。私たちの存在が、そうした何かから生まれ変わったかどうかは特定することは難しい。
また、何かへ生まれ変わることを証明することも難しい。しかしながら、何かから影響を受ける形で生まれ、何かへ影響を与える形でこの生を閉じるというのであれば、それは比較的証明がしやすいのではないかと思う。
なぜなら、影響を受けた存在や影響を与えた存在についての例を無数に挙げることが可能だからである。誰しもの生は開かれたものであり、この生を誕生させた様々な関係性の網の目が存在する。
また、この生が生涯を通じてなすことが、必ず何らかの関係性の網の目に影響を与えていることも容易に考えが及ぶ。そうしたことから、存在自体が輪廻を遂げるかどうかはひどく不確定であるが、自己の存在に影響を与えたものや自己の存在が影響を与えたものについては確定的であるように思う。
この想念が、闇夜の訪れとともに、自分の内側にやってきた。夜のこの時間帯、とりわけ日没が早まった、高緯度の欧州のこの時期の夜は、そうした不思議な想念を引き起こす。
これから来年の六月までの八ヶ月間において、夜のこの時間帯は、そうした想念と付き合うことが多くなるだろう。 今日は午前中に、一つ不思議な体験をした。今日の午前中は、実証的教育学の講義に参加していた。
今日のクラスでは、トゥウェンテ大学から招待した著名な教育研究者の方が講義を行った。このコースの受講者は合計で六人であり、今日のクラスに参加していたのは私を含めて五人だった。
非常に少人数のクラスであり、今日も活発な意見交換がなされた。今日のクラスの中で私は不思議な感覚に包まれていた。
今日の講義を担当していた、トゥウェンテ大学のその教授が教室の窓際に向かって歩きながら説明をしている時、自分が今この教室に座っている現象を生み出した、ほとんど無限と言っていいほどの因果の組み合わせが一つになり、その究極的因果を覚知するという経験に見舞われた。
教授が窓の前に立ち、私は窓の外の景色を見た。オランダに特有の高さの低い家々が見えた。
そして、自分が今この瞬間にこの場にいることを生み出した、地球誕生から今に至るまでに発生した、無数の因果の組み合わせが一つになった究極的因果を見た。「見た」、としか言いようがないものだった。
それは、自分の顔を鏡で見るよりも、はるかに確かな確認であった。「あぁ、人は真実を見ないというのはこういうことなのだ」ということを知った。
また、「究極的な真実、つまり真理を見るというのはこういうことなのだ」ということを、教室の外の世界に立ち並ぶ家々を眺めながら思っていた。因果律。
そこに家々があることも、今私がこの瞬間にこの場所にいることも、全て因果律という言葉の中に収束していく感覚があった。Aから∞までの因果の組み合わせが一つになり、それを飲む込む経験、あるいはそれに飲み込まれる経験をしたことはあるだろうか。
あるのであれば、私が今日の朝に体験したのはそれだと思う。2017/10/4(水)20:14 No.265: Systematic Review and Meta-Analysis for Adult Learning Today is a very windy day. I can say that it is tempestuous.
Looking at the outside through the window, a large cloud of birds were flying in the sky in an irregular way.
Their movement was oscillating. Even so, they had willingness to fly to their destination. Each one of the three courses that I am taking in this semester is very beneficial for my research and consulting work.
One of the assignments this week is intriguing in that it requires us to evaluate an educational intervention based on the criteria that are established by Robert Slavin’s systematic review.
I have lacked a perspective to evaluate a particular intervention on the basis of the results from systematic review. Evaluation on intervention is crucial not only for child learning but also for adult learning.
Unfortunately, I can find a mixture of wheat and chaff about interventions on adult learning.
Since I have a fortunate opportunity to conduct systematic review and meta-analysis in the next block of this semester, I want to sift out an indiscriminate mixture of various interventions on, for instance, leadership abilities, reflection skills, or meta-cognitive abilities. 17:32, Thursday, 10/5/2017