週の初めを飾る月曜日は、静かに始まり、そして静かに終わりに近づきつつある。今日は一日中、大学のキャンパスの中で過ごしていたが、自宅の書斎で過ごす日々と同じほどの充実感を感じていた。
午前中に一つの講義に参加し、午後にさらにもう一つの講義に参加し、夕方からコンピューターラボでの実習に参加した。二つの講義を通じて考えさせられたことや得られたことは、全て英文日記の方に書き留めておいたため、ここで何を再度取り上げるべきか悩んでしまう。
これは音楽理論を学んでいる最中にもよく感じることなのだが、今自分が学んでいる概念や理論はどのように日本語に翻訳されているのか、あるいはまだ翻訳されていなければ、どのように翻訳するべきなのかを考えざるをえない問題と頻繁に直面する。
大抵の場合、日本語を調べるのを億劫がってしまい、その話題についてはあえて日本語で取り上げないようにすることがしばしばある。例えば、本日の午後に行われた「評価研究の理論と手法」の講義の中で取り上げられた “INUS condition”という概念は、どのような日本語で翻訳されているのだろうか。
おそらく、この概念はまだ日本語に翻訳されていないのではないかと思う。その概念の意味を日本語で説明することはできるが、その概念を一つの日本語の言葉で命名することは困難である。
この概念は、因果関係を考察するときに重要となるものである。科学研究において、特に社会科学の研究において、ある変数が他の変数の原因になっていることを説明するのは困難な場合が多い。
その理由の一つは、社会現象の多くは複数の要因の複雑な関係によって生じているからである。多くの場合、複数の要因が相互作用を及ぼしていたり、ある変数が他の変数に非線形的な効果を及ぼしている場合もある。
本日の講義を通じて、「因果関係」というトピックを一つ取ってみても、それは哲学的にも科学的にも非常に深い問題だと思わされた。先ほど英文日記に書き留めたことと全く同じ内容だが、人間の発達を例にとって、INUS conditionを説明すると、下記のようになる。
さらなる発達を及ぼすことに必要なのは、例えば、適切な課題が変数として挙げられる。言わずもがなであるが、適切な課題だけではさらなる発達は起こらない(Insufficient)。
だが、発達を促す他の要因である適切な支援はあっても、適切な課題がそもそもなければ、発達は起こらないため、適切な課題は適切な支援が存在している場合には不可欠な要素となる(Non-redundant)。
しかし、そもそも発達をさらに促す際には、適切な課題と適切な支援という組み合わせ以外にも可能な組み合わせが他にもある。適切な課題ではなく、非常に強烈な発達課題に直面し、それを乗り越えざるを得ないような状況は、それだけで発達を促すことになるかもしれない。
あるいは、そうしたある種の強い発達的葛藤と最適な支援を組みわせることによって、さらなる発達がもたらされるかもしれない。支援に関しても、サイコセラピーを受けるのか、コーチングを受けるのか、という種類も存在している。
適切な課題と適切な支援という組み合わせ以外にも、実存的な強い発達課題に直面することだけが発達を生み出すこともあり、さらには別の組み合わせも存在することからも、適切な課題は適切な支援との組み合わせにおいては必要であるが(Sufficient)、そもそもそれが必要ではない場合もある(Unnecessary)。
最後の項目だけ順番が前後したが、上記の英単語の頭文字を取ると、INUSとなる。今日の午後からの講義に参加しながら、発達や教育を取り巻く諸々の因果関係を一つ一つ考察してみたいという欲求のようなものが静かに湧き上がっていた。2017/10/2(月)20:44
No.258: Absorption in Activities I did not have enough time today to keep a diary.
Thinking back on what I did yesterday, I continuously wrote programming language for the assignment of the research methods course.
Writing R codes is similar to composing music for me in that I am absorbed in both activities.
They provoke the same feeling to make me immerse in the activities. I was in the experience of absorption for long hours. 16:34, Wednesday, 10/4/2017