夕方からは、「実証的教育学」の最終課題を少しだけ前に進めておきたい。今日のクラスの後に担当教授に質問をし、執筆する論文の中で盛り込むべき論点を明瞭にすることができたため、そこで得られたアイデアをドラフトに反映させておきたい。
それはまだメモ書き程度で構わない。一つの家を建築する際に、レンガを一つや二つ集めるという行為をなすかなさないかは大きな違いを生む。
とにかく、教授との対話を通じて湧き上がったアイデアをいくつかドラフトに書き留めておくことをまず行いたい。その後、本日の最後に取り組むべきこととしては、「評価研究の理論と手法」で毎週課されるレポート課題の第二稿を完成させておきたいと思う。
自由記述形式の三つの問いに対して、昨日の段階で二つの問いに回答していた。今日は最後の問いに回答をし、数日間寝かせてから提出前にまた追加・修正を行う計画でいる。
これら二つが終われば、今日は夕食後から就寝前の時間を作曲実践に充てたいと思う。 それら二つの課題に取り組む前に、そういえば、今朝大学のキャンパスに向かう最中に、微笑ましい光景に遭遇した。いつもと同じ道を通ってキャンパスに向かっていると、ある住宅地の中にある一軒の家の二階の小窓を通じて、一つの犬の置物が見えた。
その窓は、横広がりの窓ではなく、縦長の窓であり、その窓の向こうに見える部屋から、種類はわからないが、毛の多い中型犬の置物が一点を凝視していた。その犬の置物は、白と黒が混じった毛を持っている。
その置物を見ながら、本当によくできた置物だと私は思った。当然置物であるから、ピクリとも動かないのだが、今にも動き出しそうなぐらいに本物そっくりである。
その犬の置物は窓から外の世界を凝視しており、私はその置物を凝視していた。「凝視」というのは不思議な作用を持っている。
対象を見れば見るだけ、対象の奥へ奥へと入っていくような感覚があるのだ。絵画作品を凝視することによって、作品の奥へ奥へと入り、作品と自己が一体となった感覚は、誰しも経験したことがあるのではないだろうか。
犬の置物と私との間に距離はなくなり、そこにあったのはお互いの凝視だけであった。そして、二つの凝視が一つとなった感覚だけがそこに広がっていた。
本物そっくりの犬の置物が置かれている家の真下に差し掛かった時、もう一度その置物に視線をやると、その置物がびっくりしたかのようにこちらに顔を向けた。犬の驚いた表情とそれが本物の犬であったということが、二重に私を驚かせた。
あの犬は、先ほど熱心に何を凝視していたのだろうかと不思議に思う。デカルト的な犬であり、ロダンの「考える人」を彷彿とさせる犬だった。 午前中に参加したクラスの後、私はフローニンゲンの中心街に行き、日用品の買い物をした。中心街を歩いていると、身なりのしっかりとした一人の女性が、裸足で歩いていることを発見した。
外見からすると中年の女性であり、右手に携帯電話を握りしめ、背中に小さなリックサックを背負っている。一見すると普通の女性なのだが、なぜだかこの寒い街中を裸足で歩いているのだ。
一歩一歩の歩みに合わせて、黒く汚れた足の裏が見える。一体どうしたのだろうかと不思議に思いながら、観察を続けていた。
その女性を発見する前に、先ほどのクラスを振り返っており、自分がいかに日本の教育システムについて無知であるかを考えていた。日本の教育の質に影響を与えているステークホルダーにはどういった存在があり、ステークホルダーごとの特徴についてより深く知らなければ、自分が教育の分野に貢献することなどできないだろうと思われた。
そうした考えの後、不思議と頻繁に頭の中で行う、二桁同士の掛け算に興じていた。例えば、「25×16」や「15×18」など一瞬で計算できてしまう問いをあえて自分に出題し、それらの問いに対して、「25×16の場合は、25×4×4にすれば、小学校三年生でも一瞬にして計算できる」という解説を頭の中でしながら、フローニンゲンの中心街を歩いていた。
ちょうど間違って、一瞬立ち止まらなければならない掛け算の問題を頭の中で出題した時に、裸足で歩く女性に遭遇したのである。その女性をしばらく観察し、あれこれ考えた後に、私は目的の薬局に入った。
購入予定だった商品をレジに持っていくと、裸足の女性がレジの女性と会話をしていた。その会話の様子から、裸足の女性は精神的にも全く普通であることがわかった。
それなのに裸足で外を歩くというのはどういうことだろうか、と疑問が強まった。先ほどの置物のような犬にせよ、裸足の女性にせよ、今日は普段見かけないものと出会った。
書斎の外の現実世界は、おそらく常にこうした異質な存在で溢れているのだろう。2017/9/27(水)15:24
No.240: Blissful Hours in a Day The most blissful hours in a day will start from now.
I finished every task to do. I can spend more than two hours in music composition until 10 PM.
I become more and more capable to compose music. The gradual progression always encourages me.
The time for me to endlessly create a short piece of music per day will come soon.
Like I keep a diary, I want to compose music as naturally and freely as possible.
Once I acquire sufficient knowledge and skill for music composition, ceaseless and inexhaustible music creation will emerge from my being.
When the moment comes, I would dissolve into the source of creation. 19:34, Thursday, 9/28/2017