昨日は、具体的な課題に取り組みながら学習を進めていくことの重要性を改めて実感するような体験をした。昨日の午前中から、「評価研究の理論と手法」というコースの課題に取り組んでいた。
この課題は、メキシコの国家規模の教育問題をケーススタディとし、毎週のクラスで学習する項目をもとに、いくつかの質問に回答していくというものである。設問事項の字数制限を見たときに、それほど分量が多いとは感じなかったが、実際に文章を書いてみると、随分と分量の多い文章を書かせることが要求されていることがわかった。
昨日私が実感していたのは、単にテキストを受動的に読ませるのではなく、また、単に講義を受動的に聞かせるのではなく、このような形で具体的な課題を提供しながら、学習した項目をもとに文章を書かせることの意義である。
ケーススタディに取り組む過程の中で、必然的にテキストに立ち返ることや、講義資料に立ち返ることになった。具体的な課題に対して、試行錯誤し、学習済みの項目を思い出しながら文章を書いていくことは、学習した知識項目を確かなものにする上で極めて大切である。
ここにはいくつかのポイントが含まれており、具体的な課題に取り組むことは、拙書『成人発達理論における能力の成長』において、能力の成長における肝であることを述べていたように思う。こうした具体的な課題に取り組むとき、私たちは必然的に以前に構築した知識やスキルを再想起することを余儀なくされる。
とりわけ、知識体系を構築していく際に、これまでに習得した知識項目を再想起することは、知識のネットワークをさらに密なものにする上で大切になる。一つ一つの設問に取り組む過程の中で、自分の記憶の中にある知識項目を再度引っ張り出すことによって、知識のネットワークの回路が太くなっている実感がある。
また、既読済みのテキストや講義資料を再度読み返すことによって、ネットワークを構成する知識項目に対する理解がさらに深いものになっていく確かな手応えがある。こうしたプロセスを経ることによって、自分の内側の知識体系の部分と全体が徐々に高度なものになっていくのを実感していた。
しかしながら、知識体系を涵養していく際に、黙読をしているだけでは全くもって不十分であることにも気づかされる。昨日取り組んでいた課題が優れているのはまさに、ケーススタディという現実世界に立脚した問題をテーマに据え、課題に取り組む過程の中で、すでに学習した項目を再想起させることを促すことのみならず、設問に対して自分の言葉で文章を書かせる点にあったと言えるだろう。
この課題の優れている点は、学習項目の再想起と再構築にあると言える。つまり、知識項目を再想起することに付随して、再想起された事柄を活用しながら、自分で知識を再構築していくのである。
とりわけ再構築のプロセスを推し進めていたのが、まさに文章を執筆するということだった。ここ最近、自分が文章執筆における構築性の虜になっているのを感じていたが、まさに文章を書くというのは、自分で再構築作業を行うことに他ならない。
おそらく、学習項目を真に血肉化させるためには、再想起だけでは不十分である。堅牢な知識体系を築き上げていくためには、文章執筆を経た再構築作業に従事することが不可避に求められると思う。
その他の発達現象を含め、知識体系が発達していくプロセスは建築的なものであり、文章を執筆するという行為の本質に建築性という特徴があるがゆえに、文章執筆と知識体系の高度化は密接な関係を持っているのだろう。2017/9/20(水)07:39
No.212: Slow Life I am intentionally spending the time of today at a slow speed.
We are often blind of our rapid consumption of time. The pathology can be seen anywhere in industrialized countries.
I want to purposely confront with it.
I will read slowly a Japanese book after a long time, which would make myself and even my time deeply relaxed.
Loosening ourselves and our time perception may not be a panacea but a remedy for the tendency to urge us to recklessly consume our precious time. 13:04, Thursday, 9/22/2017