昨夜は一日の最後に、今後の創造活動に関する事柄を書き留めていたように思う。それが影響をしてか、昨夜の夢の中にも同様の主題を持つであろうシンボルが現れた。
夢の中で私は、主題の類似性を明確に認識していたことは確かなのだが、それがどのようなシンボルであったかを具体的に思い出すことができない。ただし、「創る」ということに関して、啓示的な気づきをもたらすものであったことを覚えている。
夢の中の私は、どこか雷に打たれたかのような状態になっていた。おそらくこの状態とそこで得られた気づきは、今後の覚醒状態の中で徐々にその姿を表すことになるだろう。 昨夜は就寝前に作曲実践に従事した。学術研究の休憩がてらに、午後に一度、音楽理論に関するテキストを読むことを行っていた。
音楽理論に関する既存の知識のネットワークの中に、再び新しい知識が組み合わさっていくかのような感覚があった。むしろ、学習をそのように進めようと意識する自分がいる。
これはおそらく、現在履修中の「学習理論と教授法」というコースの影響によるものかもしれない。このコースを履修しながら頻繁に思うのは、自分のこれまでの学習方法には見直すべき点が多々あり、学習理論は自分の探究をより深くしてくれることに非常に有益だということだ。
ネットワーク科学と教育科学を架橋させるような発想を昨年の秋あたりから持つようになった。人間の発達現象をダイナミックシステムかつダイナミックネットワークとして捉えるという発想が芽生え、それに関する探究が始まったのはその時期だったと記憶している。
システム科学とネットワーク科学の観点から人間の発達を捉えた時、知識体系というシステムかつネットワークがより高度なものになっていくためには、何はともあれ、既存のシステム的なネットワークの中に、いかに新しい知識を組み合わせていくかということが重要になる。
以前に言及したように、多くの人は、どうしても「銀行型学習」を行ってしまいがちだが、そのような学習方法を採用していては、システム的な知識のネットワークは強固なものに育っていかない。
要諦は、新たな知識項目に対して、いかに自らで意味付けを施し、その知識項目を自分が付与した意味と共に、既存のネットワークに結びつけていくことだ。
昨日も、音楽理論のテキストを単に読み流すということをせず、それぞれの項目に対して自分なりの意味付けを施しながら、すでに構築してきた知識のネットワークと関連づけるということを意識していた。
すると、徐々にではあるが、確かな手応えとともに、音楽理論に関する自分の知識体系が育っていることを実感することができる。発達や学習は、徐々に進むことが本質であり、ゆえに緩やかに進めていくことがカギを握る。
この緩やかな流れの中に、知識項目が徐々に自分の内側に定着していくのである。就寝前に行っていた作曲実践に関しても同じである。
それぞれの項目を、自ら手を動かしながら、試行錯誤を行う過程の中で意味付けを行うことによって、作曲の技術が自分のものになっていく。音楽理論のテキストのみならず、シンガポール国立大学が提供するオンライン作曲講座も三回目の繰り返しとなった。
三回目の学習は、二回目までの学習ではあえて焦点を当てなかった、細かい応用的な知識項目にも光を当て、それらをこれまで習得した知識項目と結ぶ付けていくことを意識したいと思う。オンライン作曲講座の三回目が終わる頃には、一つの曲を適切な形として残せるようになっていることを願う。2017/9/20(水)07:11
No.211: Message from The Dream Can we fly in the sky? Yes, we can.
However, we often forget that the vast sky always exists over our heads.
Furthermore, we almost always forget that we have the right to fly in the sky.
The modern society beclouds our eyes so that we cannot notice the sky. It also guilefully conceals our right to fly in the sky.
The dream I had last night told me that we had to wake up to see the sky. Moreover, we should remember that we always have the right to fly in the sky. 11:12, Thursday, 9/22/2017