今日は台風のような一日だ。先ほど午前中の講義を終え、自宅に戻ってきた途端に激しい風と共に雨が降り始めた。
自宅に戻る最中は幸運にも雨は降っていなかったのだが、どこか雲行きが怪しく、途中で小走りをしている自分がいた。天気予報では昼前から天気が崩れることがわかっており、もしかしたら天気が崩れる時間帯が少し早まったのではないかと感じられ、無意識的に小走りをしている自分がいた。
自宅に到着して、ほんの数分も経たないうちに、外の世界は激しい風と雨に包まれた。先ほど私が感じていた直感は正しく、先ほど小走りをしていなかったら、今頃自分はこの激しい風と雨の中にいたのだと思う。
北欧旅行の時にも感じたが、自分は天候に関して随分と恵まれているように思う。今朝も出発の30分前には大雨が降っていたのだが、私が出発をする時には雨が止んでいた。
そして、先ほどはまさにボタンの掛け違いほどの単位の時間差で、激しい風と雨を逃れることができた。天気というのは人為的に手を加えられるものではないことを考えると、つくづく自分はとても運がいいのだと思う。
今日は午前中に、「実証的教育学」のコースの最初のクラスに参加した。月曜日にはすでに、「学習理論と教授法」と「評価研究の理論と手法」のクラスが行われ、それらのクラスはどちらも受講者が多かった。
どちらもおよそ60人ぐらいの受講者がいたのではないかと思う。一方、本日のクラスが行われる教室に到着した時、開始数分前にもかかわらず、最前列の席に四人の受講者が腰かけているだけであり、その他の受講者は見当たらなかった。
そして、クラスの開始時間になった時には、結局合計で七人の受講者しかいなかった。このコースを担当するハンケ・コーパーソウク教授曰く、七人で全ての参加者だそうだ。
月曜日の二つのコースが規模の大きいクラスであったため、この小規模なクラスにはとても親しみを覚えた。教授と受講者、そして受講者同士の距離がとても近く、講義中の質疑応答が行いやすい。
最初に受講者同士で自己紹介を行ったところ、グルジアから交換留学で来た一人の女性と私を除き、あとは皆オランダ人だった。ただし、所属しているプログラムはほぼ全員異なっており、教育という軸は同じだが、関心の多様性が確保されたグループではないかと思う。
本日のクラスでは、実証的教育学の概要をメインに取り上げ、クラスの後半では最終課題について説明を受けた。最終課題では、ある学校をケースとして取り上げ、その学校の教育プログラムの質の改善に向けた施策を練ることである。
現在の私の強い関心は成人教育にあるが、人間の発達というものが生誕から一生涯にかけてなされる包括的なものであるという性質を踏まえると、子供たちの教育は極めて重要な意味を持つ。
今回の課題について案を考えていた時に、とっさに思いついたギフティッド教育を最終課題の題材として、このコースを通じて子供たちの教育について理解を深めていこうと思う。2017/9/13(水)
No.186: Reconsideration of My Work I have recently lost the meaning of scientific research. Yet, I cannot relinquish my scientific endeavor to engage in and contribute to our society.
Over the last couple of years, I have researched on digital learning. My research theme does not change.
I will devote myself to educational science and philosophy of education.
I believe that education is one the most significant domains to emancipate us in this modern society because it interconnects with almost all of the other realms in our society such as economy, public health, politics, and so on. Saturday, 9/16/2017