自らの内側にある真実の声に耳を傾け、それをこの世界に表現した人たちに対して、私はいつも感銘を受けるとともに、大きな励ましを受ける。
この世界で自己を見出し、自らを世界に向けて表現していくことを果敢に行ってきた人たちに、私は多大な敬意を払っている。しかし、よくよく考えてみると、これは何かおかしいのではないかと思う。
つまり、私たちはなぜ、自らの声を発見し、その声をこの世界に勇敢に表現した人たちに敬意を払うのだろうか。私たちは本来、固有の自己を見出し、自らの内側の真実の声に気付き、それをこの世界に表現することを宿命づけられた存在であるはずだ。
言うまでもなく、これは利己的な自己表現とは一線を画すものであり、この世界への関与を前提とした、固有の自己に立脚した普遍的な自己表現のことを指す。私が違和感を感じているのは、自らの声を発見することなく、それをこの世界に表明しないままに、それを行った者を不必要なまでに敬うその姿勢である。
表現を変えれば、本質的に自己をこの世界に表現することを宿命づけられているはずの私たちが、その宿命と向き合わないままにそこから逸脱し、いつまでたってもこの世界に自己を確立することのできない状況を生み出す現代社会に違和感を覚えるのだ。
今、「宿命」という言葉を用いたが、これは確かに重たい意味を内包するものである。一方、自己を表現することは、真の意味での解放と自由を体現したものであり、そこには常にこの世界で生きる充実感と幸福感が伴うはずなのだ。
本来、教育というのは解放と自由を私たちにもたらすものであったはずである。しかし、いつからか、教育というのは、呪縛と不自由さを私たちにもたらすものに成り果てた。
現代社会での教育が、ことごとく過去の偉人が残した知的資産を享受するだけに終始していることは、この問題と大きく関係しているだろう。知的資産の享受というよりも、単なる消費しかそこになく、自らが人類の知の形成に関わろうとするような姿勢を育むことはないのである。
つまり、現代社会の教育においては、真に自己の声を見出し、それをこの世界の関与に向けて表現する方法を習得し、自己の表現を通じて人類の知の形成に参画するような意志と技術を育む機会が喪失しているのである。
その結果私たちは、いつまでたっても、自らの声を表現することなく、それを行うことのできた人を単に崇めるだけで終わるのである。フランスの小説家であるスタンダールはかつて、「私たちは、他人がどんなに偉かったかを一生かかって証明しようとする。それはなんて馬鹿げた人生だろうか」という趣旨の言葉を残した。
この言葉は洞察に満ちており、上述の問題の核心を突いているように思えて仕方ない。確かに、私たちが何かを表現しようとするとき、過去の人間たちが絶え間ない研鑽と実践によって蓄積した、知の遺産に立脚しながら表現活動に従事する必要がある。
その点においては、自己表現をする際に、過去の人間が積み上げた仕事を参照することは大切だ。自らの声をこの世界に表明する際に、そうした人類の過去の知に立脚することは大事でありながらも、そうした知を自己の声の表明のために用いるのではなく、単に消費したり、盲目的に崇め奉るのはおかしなことではないだろうか。
私たちは、他人がどんなに偉かったかを証明するために生まれてきたわけではないはずである。私たちは、この世界に唯一の個としての自分を見出し、それをこの世界に表明することを通じて社会に参画し、自己表現を通じて生の充実感と幸福感を感じながら毎日を生きるために生まれてきたはずである。
いつになったらやめるのだろうか。いつになったら、私たちは他人の人生を崇め、自分の人生を惨めに思うことをやめるのだろうか。
そしていつになったら、自分の人生は本当に尊いものであるということに気づくのだろうか。なぜ私たちは、自分の声をこの世界に表明し、世界に参画することを通じて、日々の瞬間瞬間に充実感と幸福感を感じるように生きようとしないのか。
いつまで私たちは自分に対して嘘をつきながら生きるのか。現代人は、絶対に嘘をついてはならぬ人に嘘をつく、大嘘つき以外の何者でもない。2017/9/8(金)
No.168: To Deliver Our Inner Voices to Others A sweet-toned song of a bird reverberated around the dark surroundings in the early morning.
It reached the core of my existence. The sound continued to echo within me.
Why did it happen to me? Why did the birdsong resonate with me?
The simple but essential reason is that the bird uttered its voice from the center of the existence. That is why the voice was directly delivered to me.
How many people express their inner voices with a steadfast resolution? Unless we express our voices from the center of ourselves, they never reach others’ hearts.
We have two choices; to express our inner voices with an iron will to penetrate our voices into the inner universe of others or to express our untruthful voices to vanish them into space.
Which do we choose? Tuesday, 9/12/2017