昨日から、「評価研究の理論と手法」のコースでとりあげられる“Evaluation: A Systematic Approach (2004)”の二読目に入った。第一章から第三章までのおよそ100ページを精読していった。
初読時に大枠を掴んでいたおかげもあり、今回の再読時には、本書の内容が頭により入りやすくなっていた。学習内容を忘却することや学習内容を理解できないというのは学習に常に付きまとうことであり、それを心配する必要はない。
必要なことは、そうした退行や停滞を所与のものとみなし、学習内容を自分に引き寄せながら繰り返し接していくことである。一度にペンキを緻密に塗ろうとするのではなく、最初は大まかにペンキを塗り、二回目、三回目と続けてペンキを塗る中で、徐々に精度を上げていけばいいのである。
このテキストは、教育政策や教育プログラムの評価を含め、企業の人財育成プログラムの評価にも資する内容を持っており、今私が携わっている仕事とも直接関係している。発達心理学の領域を離れ、教育学や社会学的な観点から個人や社会の発達を考える機会がここ最近増えてきており、自分の専門領域が徐々に拡張してきていることを感じる。
既存の知識基盤をより強固なものにすることに加え、新たな知識基盤を確立しながら知識領域を拡張させていくような姿が見える。今日は本書の第四章から第六章までの再読を行いたい。 チェコの作曲家ベドルジハ・スメタナのピアノ曲を早朝から聴く。早朝の六時に起床し、その20分後から今日の仕事を開始した。
辺りはまだ闇に包まれており、雨雲の向こう側に、少しばかり闇のない深い青色の空が黒々と浮かんでいる。昨夜は印象深い夢を見た。
おそらくこの一ヶ月間ぐらいだろうか、何度か自分が疲労困憊でその場に倒れ、深い睡眠に入るという夢を見てきた。昨夜もその夢だった。
実際に私が通っていた中学校の体育館で、全校生徒が合唱を行っている。その中に私もいた。
前後左右には私の旧友ばかりであり、どこか懐かしいような感じがする。合唱が後半に差し掛かった頃、自分がその場に立っていられないような疲労感が突然襲ってきた。しかし、その場に即座に倒れ込むのではなく、私は前後左右の友人の顔をもう一度確認していた。
その後、ゆっくりと身体を崩し、床に突っ伏して深い休息に入ることにした。周りから見れば、それは突然の出来事であり、自分が床に伏したことを一大事だとみなしていたようだが、床に伏した私は周囲をそれほど気にすることなく、とにかく深い休息が自分には必要なのだということを強く自覚しているようだった。
たった今、この夢について文章を書き留めた瞬間に、「あぁ、それは夢を見る意識から夢を見ない深い意識への移行を示す象徴的なシンボルなのだ」という言葉が漏れた。
確かに昨日は、学術研究と作曲実践の双方に打ち込み、就寝前に少しばかり探究に従事し過ぎたような感覚があったが、それを抑制し、休息を自己に促すシンボルというよりも、サトルの意識状態からコーザルの意識状態に移行することを示唆するシンボルとして床に伏すという行為が現れたように思える。
日々の学術研究と作曲実践の充実感を思えば、それらに従事することがある種の休息である自分にとって、昨夜の夢のシンボルは深い意識状態への移行のサインであると解釈をした方が説得力がある。この解釈によって、私は夢を見る意識から夢を見ない深い意識へ移行するその瞬間を捉えることができるようになったと言える。
コペンハーゲンを訪れた初日に初めてこの種の夢を見たが、その時の解釈は、覚醒意識の自己が疲労困憊であるためにそうした夢を見たのだ、というものだった。一歩譲って、身体的な疲労感があの時の自分にあったとしても、精神的な疲労感は全くなく、むしろ私の精神は充実感で満たされていた。
おそらく、精神が充実感ではち切れそうになる時に、このシンボルが出現するのかもしれない。充実感を入れる既存の箱から充実感がこぼれ落ちそうになる時、その箱を解体し、変容させるためにあのシンボルが立ち現れるのだ。
夢を見ない深い眠りの世界。そこは心身の深い回復と充足をもたらす場所であり、新たな自己を創造する深淵な場所である。2017/9/7(木)
No.163: A Dream Has a Dream I had a dream last night, and I thought that who else had the same dream last night in this world.
We often hear that one person shares the same vision with another person. Does the same phenomenon happen to our dreams?
It may be possible to imagine that someone else in this world has the same dream or somebody in the past had the same dream with ours.
By the way, do we really have a dream? What if our dream has a dream?
It sounds preposterous, but the subject having a dream may not be us but something else…it might be a dream itself. Sunday, 9/10/2017