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1512. 一億文字の日記の先に


ここ数日間、文章を毎日書くことの意義、狭義には日記を日々の瞬間瞬間に書き留めておく意義を何度も考えるようなことがある。今朝読み終えた、発達心理学者のハワード・ガードナーの書籍の内容の中で、とりわけ印象に残っているのは、ピアジェが絶えず書く人だったということだ。

過去から現在に遡ってピアジェの仕事を研究している学者を挙げれば切りがないだろうが、ピアジェ研究に携わる者であったとしても、読み切れないほどの膨大な論文をピアジェは生涯にわたって書き残している。この世界で誰もピアジェの論文を全て読んだ人がいないぐらいに、ピアジェは絶えず文章を書く人だったのだ。

ピアジェは一日の間に散歩を楽しむ時間を設けており、散歩から帰ると、散歩の最中に湧き上がった考えを絶えず「学術日記」のようなものに書き留めておいたそうだ。そして、学術日記に書き留められたアイデアを元に、論文を次から次に大量に執筆していったのだ。

ガードナーの書籍を読みながら、改めてピアジェが主題とした、知識の構成過程に関して考えてみると、ピアジェはまさに自身の発達思想を体現するかのように、自分の内側に知識体系を築き上げていったのである。ピアジェにとって、まさにその手段が書くことだったのだ。

絶えず書くことによって、自分の思考を常に更新していたのだ。実際に、ピアジェは出版した論文の中で展開した自らの考えを、次の論文以降から絶えず更新するようなことを行っていた。

私たちの知性というのは、既存の知識と経験を出発点とし、絶えずそれらに自己言及しながら発達していくのだ。つまり、知性の発達には自己の歴史に言及するという特性があり、書くという実践行為は自己言及作用を持っているがゆえに、知性の発達を促進していく効果があるのかもしれない。

ピアジェが日々の研究活動を逐一文章として書き留めていたことと同じことを、より一層意識的に自分も行っていく。私は日記には様々な役割を持たせているが、一つの核として、ピアジェと同様に「学術日記」という役割を与えたい。

ピアジェの文章執筆実践について考えていると、ふと、毎朝の自分の習慣をもう一度俯瞰的に捉えることになった。起床直後に日記を執筆することはすでに確固とした習慣になっていたのだが、それだけではなく、以前の日記を読み返すという行為も早朝に行っていることに気づいた。

これもまた、自己を再構成させながら深めていくことに不可欠な習慣だと思う。日記を絶えず書くだけではなく、過去の日記の一部を毎朝読み返すことは自己言及実践に他ならない。

絶えず日記を書いていく実践は、既存の自己から新たな自己を絶え間なく生み出していくという自己創出的な側面が強い。一方、過去の日記を読み返すという実践は、既存の自己を構成する過去の自己を振り返ることに他ならず、それは当時の自分と今の自分との差異を必然的に認識させることを促し、気づいた差異がまた自己創出運動に寄与するのだ。

ここで私は、単に日記を絶えず執筆するだけではなく、やはり過去の日記を読み返し、歴史的自己を確認する作業を行うことによって、さらに自己創出運動が促進していくのではないかと思うようになった。これは自らの体験を振り返ってみた時に、確信を持って言えることである。

気付かない間に、この一年間で180万字ほどの日記を書いていた。絶えず書くことを通じて生きるという熱情を持っている割には非常に少ない文字量である。

だが、それした微々たる分量であったとしても、確かに自分は毎日日記を書いてきたという体験が積み重なり、それは思いもよらないような気づきを毎日私にもたらしてくれる。人は一億文字日記を書き留めた時、何が見え、それでも何が見えないのかに異常な関心がある。

昨年の夏、ドイツのリアーからハノーファーへと向かう列車の車窓から古城を見た時、少なくても一億文字の日記を書き残そうとふと思ったことが思い出された。あの時の私は、一億文字の日記を書くということを想像しただけで、絵も言わぬ恍惚感に包まれ、自己の存在が溶けてしまいそうになっていた。

その感覚は今でも残っており、一億文字の日記を書くことを今想像してみても、同様の感覚が全身を駆け巡る。自分は一億文字の日記を書いた時、何が見え、何が見えるのだろうか。

何が分かり、何が分からないままなのだろうか。見えるということや見えないということ、分かるということや分からないということを越えることができるだろうか。2017/9/5(火)

No.158: Dream of Overcoming Tiny Ego The feelings of a dream that I had last night still remains within me.

I smashed an authority in the dream. More specifically, I smashed his tiny Ego into pieces.

What I did next was to burn away the pieces of his Ego by the flame of my sense of justice.

Reflecting upon the dream, I realized that I broke into pieces not only the authority’s paltry Ego but also mine.

It implies that I am still walking on a path to overcoming my meagre Ego. Saturday, 9/9/2017

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