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1498. グランドピアノから天に向かう夢


九月を迎えた最初の週末。いつもと全く変わらない時刻に起床し、六時を少し過ぎたあたりから一日の仕事を始める。

今日と明日の土日は、平日と変わらず学術探究と作曲実践をする中で終わりを告げていくだろう。昨夜は初めて見る種類の夢を見た。

夢の中でピアノが現れるという夢だった。ここ最近、作曲実践にかける時間とエネルギーが増したからであろうか、自分の夢の中にピアノが初めて登場したのである。

夢の中に登場したのは、二台のグランドピアノだった。二台のグランドピアノは一軒の広い家の中に置かれており、どちらも共にカバーが掛けられていた。

カバーが掛けられていてもわかったのだが、そのうちの一台は、幼少期の頃に自宅にあった、母が使っていたグランドピアノだった。もう一台は、真新しい最新のグランドピアノだった。

二台のグランドピアノが置かれた家に訪問した時、私の横には男性なのか女性なのかわからないような女性が横にいた。どうやら彼女とは顔見知りのようであり、友人のようだった。

その家の中に入ると、母が出迎えてくれた。三人でお互いに挨拶をしたところで、横にいた友人の女性がグランドピアノを見つけ、すぐさまそこに駆け寄った。

駆け寄ったのは、新しい方ではなく古いグランドピアノの方だった。彼女は母にピアノを弾いてもいいかの許可を取り、勢いよくカバーを外した。

彼女はピアノの古さを一切気にすることなく、とても激しい演奏を始め、聴いていた母と私を驚かせた。激しいながらも美しさがある演奏だったが、その力強さにピアノが壊れてしまうのではないかという二人の心配があった。

それが伝わったのか、彼女は後半から先ほどとは打って変わって、とても静かな音色を奏で始めた。男性なのか女性なのかわからない謎めいた友人がピアノを満足するまで弾き終えたところで、夢がその曲を象徴するかのように、静かに別の場面に移行した。 その次の夢はまた特徴的だった。近未来の都市の道路を、私は友人たちと車で走行していた。車内には、私を含め四人の友人がいたように思う。

どうやらここは、今から何十年も先の東京のようであり、私たちは羽田空港に向かっていた。実際には、空港へ向かっていたというよりも、空港に引き寄せられていた、と言った方が正確だろう。

車の運転をしていた大学時代のゼミの友人が、「このまま行ったら羽田空港に到着してしまう」と述べたように、私たちの本当の目的地は別にあり、それは各人の自宅だった。この近未来の東京に、私たち以外に車で走行している者はおらず、羽田空港に向かう最後の一方通行の道の途中で私たちは一度止まった。

空港に入る最後の箇所は、傾斜角度が激しく、道路が天に向かって伸びていた。より正確には、角度の激しい螺旋状の道路が天に向かって続いており、その最終地点が羽田空港だった。

自宅に戻るはずだった私たちは、目的地などないままに、その螺旋状の道路を天に向かって進んでいった。その時の気持ちは全く覚えていない。気づけば羽田空港にいた。

空港には、日本航空と全日空の先代の会長に関する資料館があり、目的地の書かれていない飛行機が到着するまで時間があったので、私たちはその資料館に足を運んだ。

車を止めたのは空港の地下であり、資料館に向かうためのエレベーターに乗ると、そのエレベーターは不思議な仕組みになっていた。一階から三階までは各階に止まれるようになっており、そこからは五階と七階にしか止まれないようになっていた。

そしてよくよく押しボタンを見てみると、七階の先が「天」と表示されていた。その場にいた四人全員は、おそらく七階の先にある「天」という文字盤に気づいていたのだと思うが、誰もそれを指摘することをせず、四人のうちの誰かが五階と七階だけを押した。

私たちは、最上階のさらに先に待つ「天」という場所などないかのように、五階と七階で展示されている資料を眺めて時間を潰し、目的地のわからない飛行機を待っていた。そこで夢から覚めた。

どちらの夢もとても印象に残っている。北欧旅行から戻ってきて以降、これまで断続的だった作曲実践に本腰を入れて取り組み始めたこともあってか、夢の中にピアノが現れたことは大変興味深い。

ピアノが夢の中にシンボルとして現れるのはこれが初めてであった。よく外国語を真剣に学んでいる人が夢の中でその外国語を使う夢を見たりするのと同じように、ピアノが自分の無意識にまで流入し始めていることを示唆するような夢だった。

二つ目の夢に関しても、様々な意味付けをすることができるシンボルがいくつもあるが、やはり天に続く螺旋道路と目的地の定まらない飛行機、そして「天」の表示がなされたエレベーターは、巨大な意味の塊が具現化したもののように思える。

天に至るためには、螺旋状の道を通らなければならない。それは一直線の道ではなく、DNAの構造のように螺旋的なのだ。

夢の中で私たちはどうして、最上の安心感をもたらす自宅ではなく、目的地の定まらない飛行機に乗ろうとしたのか。目的地がわからない場所に行くことに関して、誰もが黙っていた。

誰もがそれを言いたくないと思っていたのか、それとも言う必要などないというような思いを持っていたのだろうか。私はそのどちらも当てはまるように思う。

エレベーターに乗って自動的に到着する、「天」という一つの場所に向かっていくのではなく、私たちはあえて各人異なる旅客機に乗って、別々の天に向かおうとしていたのだ。その天の先の先に、いつか全員が再会する一つの天が待っていて欲しいと思う。2017/9/2(土)

No.144: Associative, Constructive, and Autopoietic Beings We are not so logical beings but associative beings.

Whenever I keep a diary, I always notice that I utilize my associative ability to construct words.

At the same time, a spate of words emerge within me when I write something; my previous words generate new words, which can be called “linguistic autopoiesis.”

To closely examine the nature of us, we might be associative, constructive, and autopoietic beings.

I expect what I will create today by virtue of those intrinsic human propensities. Tuesday, 9/5/2017

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