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1455. 上り道と下り道


ここ数日は、北欧旅行を通じて患った風の初期症状のせいもあってか、あるいは旅を通じて得られた濃密な感覚が言葉を紡ぎ出すことを抑制していたのか、日記の分量が減少していた。

特に毎日どれだけの量の文章を書くかを決めてはおらず、書き留めておくべきことだけを書き留め、内側の表現を待つものだけを文章に表現するということを行っているため、文章の量自体はいつも問題にしていない。

だが、そうは言ってもここ数日間は、自分の言葉が滑らかに出てこないという状態が続いていた。その分ゆっくり言葉を紡ぎ出すことができていたことは間違いないが、そうだとしても言葉の湧き上がる度合いというものが極度に低かった。

今朝起床した時に、文章を書いていないにもかかわらず、今日から再び文章を書く感覚が戻ったことに気づいた。文章が淀みなく流れるように言葉を紡ぎ出していくことは簡単なことではない。

冒頭の理由のように、様々な要因によって言葉が出てこなくなる時がある。今このようにして再び自分の内側から言葉が湧き出し始めたのは、旅で得られた感覚が自己の基底に到達し、そうした感覚が少しばかり落ち着いたからだろう。

しかし、そこでプロセスが完了するわけでは決してなく、旅で得られた感覚は自己の深層から再び浮上して顔を出す時が来るだろう。その時にまた文章を書くことによって、浮上した経験の意味と感覚を掴み直していくのである。そのようなことを迫られる日が、遠からず近い将来に必ずやってくるだろう。 起床直後に昨夜見た夢について文章を書き留めておいた。文章を書き留めてみたものの、その後何か後味の悪い違和感が自分の内側に残っていた。

夢の中に登場した人物や出来事は、記憶に残っている範囲で全て書き留めておいたのだが、どうしても違和感が残っている。それはおそらく、夢のシンボルに対する意味づけが不十分であったことに起因しているのではないかと思う。

昨夜の夢に現れた豊富なシンボルは、それぞれ豊穣な意味を内包している。それら一つ一つの意味を紐解いていくことをしなければ、やはり何とも言えない未消化感が残るのである。

確かに、自分の見た夢をいちいち全て解釈する必要はないのだが、それでも解釈可能であればそれを施しておくことが大切なように思える。先ほど夢のシンボルを列挙しながら、実は明確にその意味が掴めるものがあったのだが、その意味をあえて隠蔽する自分がいたのである。

上り専用の階段から下り専用の階段へどう移行すればいいのかわからなかったシンボルは、明らかに今の自分の姿を捉えている。一者の道と多者の道。上昇の道と下降の道。

一者に向かって上昇する道を歩くことを宿命付けられているとさえ思えるような今の状況について、私は時々立ち止まって考えることがある。結局いくら考えたところで、自分にはこの道を納得のいくところまで上りきることしかできないことを知る。

同じ問題にぶつかっては、いつも同じ回答だ。一つの救いは、下り道があるということを知ることができたということかもしれない。

自分に与えられたこの道を、とにかく進めるところまで進んでいくこと。今日も階段の上り道をつまづきながら一歩一歩進んでいく。2017/8/21(月)

追記

上昇の道も下降の道も、どちらも同じ一つの道だった。2017/9/2(土)

No.101: A Blissful Rest Last night, my heart was replete with blessedness about a nexus of artifacts and natural products.

Being in the prodigious meshwork of human beings and nature gave my soul an entire relief. My existence and even IAMness rely heavily on others.

Here, what is the borderline between others and me? Once we notice that the boundary is translucent, our soul can immediately take a blissful rest. Sunday, 8/27/2017

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