夕食前に再び小雨が降り始めた。雨が窓ガラスに静かにぶつかる音が聞こえる。
ガラスに付着した一つ一つの雨滴が重力に従ってゆっくりと垂れ落ちる。窓ガラスを洗うような小雨を眺めるとき、それは北欧旅行から帰ってきても依然として続く旅の余韻を洗い流そうとしているかのように思えた。
旅の余韻の表層感覚を全て洗い落とし、自分の内側の底に真に堆積したものだけを残すのである。そのようなことを指示する雨のように私には思える。
旅行中に読んでいたエマーソンの全集と、旅行中に購入したグリーグやムンクに関する文献の中で下線や書き込みを入れたところをもう一度読み返すということを先ほど行っていた。これもまた今回の旅を整理するために重要な行為である。
旅の最中、折を見て、様々な角度からエマーソン、グリーグ、ムンクについて取り上げていたように思う。エマーソンの教育思想やグリーグとムンクを取り巻いた教育についてもどこかでまた書き留めておきたいと思う。
結局、私が絵画や音楽を鑑賞し、思索的エッセイを読んだり作曲をしたりすることの根幹には、人間発達に関する考究がある。それを起点にして、科学と芸術が自分の中に共存在しているのだ。 先ほど改めてグリーグとムンクの生涯に関する文献に目を通していると、両者の共通点について新たなものが見つかった。そして、それは今の自分にとって極めて重要なものだった。
グリーグは生前、「私はバッハやモーツァルト、ベートーヴェンと並ぶことができるとは思わない。彼らの作品は永久だが、私は自分の時代そして自分の世代のために作曲したい」という言葉を残している。グリーグはまさに、同時代と絶えず向き合い、同時代の人間のために作曲という表現活動に打ち込み続けたのである。
これはムンクも全く同様なのだ。ムンクは、画家としての生涯の中で何を一貫して持ち続けていたかというと、自身の作品を通じて、時代が抱える闇を浮き彫りにし、人間存在が不可避に抱える実存的問題を絶えず表現するという意志だった。
とりわけムンクはキルケゴールの思想から影響を受けており、人間が抱える不安を実存的な問題として捉え、自らがそうした不安と真摯に向き合うことを通じて作品を生み出し続けていたのだ。グリーグとムンクに横たわる共通点は、まさに時代と向き合いながら同時代の人間のために作品を創出し続けたことにある。
それが結果として、普遍的な次元にまで作品群が高められ、時代を超えて現代にまで受け継がれることになったのである。これはとても感動的である。
常に、常に同時代と向き合い、同時代の全ての人間のために自らの仕事に打ち込むこと。その姿勢の尊さを教えてくれたのがグリーグとムンクであった。 書斎の中に、時が交差し、時の最果てに誘うような交響曲が流れている。これは誰の曲だろうか。2017/8/17(木)
No.88: Poietic Logic Charles Sanders Peirce proposes that not poetic but “poietic” logic generates new ideas.
Human beings are inherently poietic to generate themselves. Simultaneously, they intrinsically continue to create something new (e.g., new ideas, tools, products, etc.) by poietic logic.
Humans are essentially destined to be a creator according to their own passions and their poietic nature. Thursday, 8/24/2017