ベルゲンでの四日目の朝を迎えた。今日はいよいよベルゲンを離れ、オランダに戻る日だ。
朝食をゆっくりと摂り、ホテルで少しくつろいでからベルゲン空港に向けて出発したい。今回の北欧旅行は、本当に充実したものだった。
今回の旅を通じて考えさせられたことや得られた感覚などについては、フローニンゲンに戻ってからゆっくりと言葉にしていくことになるだろう。今はまだ流入した思考や感覚が自分の内側で渦巻いている状態であり、それが静かに自己の存在の底に降りていく頃を見計らって、改めて文章として旅の振り返りをしていきたいと思う。
今回の旅の最中、自分の意識状態が日常とは随分と異なっているように思えることがあった。端的には、夢の中の夢にいるような感覚が続き、それでいて自己を超越的な視点から絶えず眺めているような状態が継続していた。
それは街中を歩いている時にも、ホテルの中にいる時にも継続する意識状態だった。旅を日常の延長線上に捉え、日常とひとつながりの連続的なものと認識しようとしても、意識状態は嘘をつかない。
やはり旅は、日常の意識状態から非日常意識に私たちを誘う力を持っている。おそらくそこに旅の一つの醍醐味があるだろう。
私たちは非日常意識に置かれることによって、日常をまた別の視点から捉え直すことを余儀なくされる。そこでは小さな気づきがもたらされるかもしれないし、ハッとするような大きな気づきがもたらされるかもしれない。
これまでの生き方やあり方、そして発想や認識の枠組みそのものを捉え直すような気づきをもたらしてくれるのが、そうした非日常意識であり、それをもたらしてくれるのが旅なのだ。
この世界には様々な精神修練方法が存在し、それらを実践することによって日常生活の中で非日常意識に参入することは十分に可能である。だが、旅においては自らの身体を日常とは全く別の環境の中に置くことを余儀なくされ、それによって、時にそうした精神修練方法を凌ぐような意識の変容作用がもたらされるように思う。 この文章を書いている今もまだ非日常意識の状態が続いているようだ。今夜から再びフローニンゲンでの生活が始まる。
振り返ってみると、この旅を通じてエマーソンの思索的エッセイやムンクの画集やグリーグの自伝など、普段自分が目を通している科学的な論文や専門書とは随分と異なる文章に触れていたように思う。
コペンハーゲン、オスロ、ベルゲンの各地に固有な環境と相まって、こうした文章を読みながら旅を進めていたことも、自分を非日常意識の中に深く参入させることに一役買っていたのかもしれない。
今回の旅で購入した文献はどれも思い出に残るものになるだろう。2017/8/15(火)
No.81: Music Composition Like Solving a Puzzle My progress of learning music theory for music composition is going well.
To analyze and compose a piece of music is like solving a puzzle, which is intellectually and aesthetically pleasurable. The more I learn typical chords, the more I notice the inchoate progressions of my chords.
My desire is to transform my farfetched and contradictory ideas into a piece of harmonious music. Tuesday, 8/22/2017