オスロから列車に揺られること六時間半、ノルウェー西岸の街ベルゲンに無事に到着した。ベルゲン駅はこじんまりとしていながらも、どことなくこの街の歴史を感じさせてくれる。
駅から一歩外に出ると、目の前に緑豊かな公園が広がった。今日から三日間宿泊することになるホテルは、この公園の近くにあり、明日足を運ぶコーデー・ベルゲン美術館と眼と鼻の先にある。
ベルゲンの駅を出て右手には、小高い山の斜面に家々が並んでいるのが遠目から見える。その様子を見たとき、昨年の夏に訪れたスイスのニューシャテルの風景を思い出した。
ニューシャテルは湖畔の街であり、ベルゲンは港の街という違いはあるが、その風景はどこか似ている点がある。オスロのホテルの乾燥と寒さによって喉を痛めてしまい、おかしな鼻水が出始めているので、今日は夕食を近場で済ませてゆっくり休むことにした。
三時過ぎにホテルにチェックインし、部屋で少しだけ仮眠を取って夕食を買いに街に繰り出した。ベルゲンはオスロよりも気温が低いため、三枚服を重ねて暖かい格好で街に出た。
ベルゲンと言えばやはり港が有名だろうということで、せっかくなので漁港に向かって歩き始めた。漁港の方まで観光客で溢れており、この街の賑わいを感じる。
漁港の近くでは海産物の市場が開かれており、見るからに新鮮かつ美味しそうな魚介類が豊富に並べられていた。ただし、一人で海鮮料理を食べるのは少し気が引けたので、そのまま漁港を少し見て、街の中心部に引き返すことにした。
街中を歩いていても鼻水が止まらなかったので、やはり今日はホテルでゆっくりしようと思った。ホテルの近くまで引き返すと、何やら美味しそうなスープ屋を発見した。冷え切った体が暖かいスープを欲していた。
店内は明るくとても落ち着いた感じであり、ここでスープと軽い物を食べていくことにした。身も心も温まるスープを飲みながら、ふと、近いうちにやってくるフローニンゲンの冬が恐ろしくなった。
先月あたりにも一度同じ体験をしていたが、先ほどの恐怖感は以前以上のものだった。実存的な孤独感の芯に届くような恐怖、と表現したらいいかもしれない。あの凍てつく寒さの冬がまた近々やってくる。
旅先でこのような恐怖を感じるとは思ってもみなかった。ましてや、かねてから訪れることを楽しみにしていたベルゲンの街で。
自分にとって旅というのはもはや、何か観光名所を見るためでは決してなく、日常自分が見ようとしない心の奥底や自己の本質と否が応でも向き合うためにあるような気がしている。
自分のそばに誰かがいるいないに関わらず、向き合わなければならない実存的な孤独感があるのだ。それは奇しくもムンクが経験していたものと同じであるように思える。オスロでムンクの作品とムンクその人自身と邂逅を果たしたのは、やはり何かの縁であろう。
注文したスープが体の芯まで温めてくれる。これからやってくる厳しい冬を乗り越えることができるだろうか。私はあと何回冬を越していく必要があるのだろうか。
スープ屋を後にする時、店員と何気ない挨拶を何回か交わした。その店員の言葉は、スープと同じぐらいに自分の心を温めるものだった。
何度でも自分の中の冬と向き合い、何度でも冬を越していこうと思った。越冬のその先に、自分を超えた自分が待っている。2017/8/12(土)
No.73: My Passion Composing music is similar to writing a programming code in that both of them require meticulous steps. Also, they are different from a natural language.
Composing music and writing a programming code provide me with the same exuberant feeling as writing an essay does. Since composing is a type of writing, I can say that my passion exists in writing. Sunday, 8/20/2017