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1402. 己の声と膨大な創造物


一筋の飛行機雲が青空を横切っている。それはまるで大空に一本の境界線を引くかのようである。

今日のフローニンゲンの空は、その飛行機雲以外には他に雲がない。早朝六時の空は、まだほのかに紫がかっていて、これから一日が始まろうとしている予感を醸し出している。

分厚い飛行機雲が徐々に薄くなっていき、空と同一化し始めている。昨夜の夢の記憶が薄くならないうちに、少しばかり昨夜の夢について書き留めておきたい。

夢の中で私は学校の体育館にいた。それはおそらく中学校時代の体育館であり、かなり年季のあるものだ。

あるスポーツ大会に参加しているようであったが、学年内で競い合うようなものではなく、学年の垣根を越えて競い合うような大会だった。ちょうど私たちの学年が二つ上の学年の先輩たちとバレーの試合を行うことになっていた。

この学校に男子のバレー部はなく、その試合に参加する全ての者がバレーの初心者であった。学年の差のためのハンデなのか、その試合に参加する先輩たちの人数は私たちのチームの半分ぐらいであった。

私はサーブ役を買い、チームを後方から支援することにした。試合が始まってみると、なぜだか自分のチームのメンバーがネットの付近に集中しており、後ろのボールを拾うことができないでいた。

私はチームに指示を出し、前のめりの陣形を整えることを行った。それまでは相手チームに点を多く取られていたが、陣形を整えて以降、ようやく対等に戦えるようになった。

とはいえ、相手チームとの体格差もあり、その後も苦戦が続いた。コート内でボールの応酬をしていては勝てる気がしなかったので、私はサーブで直接点を決めることを常に意識していた。

実際に直接点を決めることもあれば、相手のコート外にボールが出てしまったり、ネットにぶつかることもあった。しかし、それでも積極的に相手チームを攻めていこうとする姿勢を常に示し続けた。

相変わらずこちらのチームはおとなしく、あまり声が出ていない様子に少々苛立ちを感じていた。実際のところ、それは先輩たちのチームにも当てはまっており、結局声を出しているのは自分だけだった。

自分の声で味方を鼓舞し、その声が相手を圧倒するように、私は声を出し続けていた。その後もチームの劣勢は変わらず、サーブを打ってそれが相手のコートに入るか否かのところで夢の場面が変わった。 次の夢の場面では、最初のキャリアでお世話になった組織に再度所属することになっていた。どこか懐かしさもありながら、自分の立ち位置や振る舞いをどのようにするべきかに対して少し戸惑っているようだった。

新人と同様に、私はもう一度研修を受けることになった。大きめの会議室に到着し、椅子に腰掛けると、隣に座っていた新人が私に話しかけてきた。

私は、自分がこの組織で働くことは実は二度目であり、二年振りにここで働くことになる、ということを述べた。しかし、よくよく考えてみると、それは六年振りのことだった。

それに気づいた時、今回の研修を担当する元上司が会議室に現れ、私に突然話しかけると、「今回の研修の講師をしてくれ」と依頼してきた。もはやこの仕事で要求される専門知識が曖昧になっており、その依頼はなかなか難しいものに思われた。

だが、特に断ることもなく、講師の役を引き受け、少しばかり準備の時間をもらった。すると夢の場面が少し変化し、私は研修に向けた資料を会社の中ではなく、公園で作成していた。

公園で資料を作成しながら、その一枚一枚の資料を公園に並べていくという奇妙な行動を取っていた。あるところで上司が現れ、その資料を一枚一枚拾い上げながら、肯定的なフィードバックを与えてくれた。

しかし、実際には上司が拾い上げた資料は一部のものに過ぎず、私は公園の遠方を指差すと、「あっちにはさらに多くの作成済み資料が置かれています」と上司に伝えた。上司が拾い上げた資料でさえ、分量は十分なものだったのだが、それを遥かに凌ぐほどの膨大な量の資料を私は作成し、それを公園の別の箇所に一枚一枚並べていたようだった。

私の発言を受けて、上司はとても驚いているようだった。そこで夢から覚めた。 たとえ他の人間が自らの声を発することはなくても、自分だけは常に自らの声を発するという気概を示すような夢。そして、常軌を逸した膨大な量の創造物をこの世界に生み出していこうとする隠れた情熱が滲み出るような夢だった。2017/8/7(月)

No.47: Commonality between Edvard Greig and Edvard Munch I visited Edvard Greig’s museum yesterday, which inspired my soul and spirit in a profound way. As Edvard Munch did, Greig also kept a diary for a long time.

Munch was a painter, and Greig was a composer. Their artistic forms were different, but keeping a diary was a commonality between the two artists.

Munch expressed his thoughts and emotions in a painting language, whereas Greig represented his inner world in a music language. A diary for them would supplement their main artistic language——both expressive methods have intrinsic limitations of what they can express.

Munch and Greig told me the significance to apply both a natural and artistic language to explore and express my inner world. Tuesday, 8/15/2017

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