先ほど出版記念ゼミナールの第二回のクラスが終了した。画面共有をしてPreziを活用するのではなく、Adobe Connectの中でPPTを共有する形を採用することによって、前回抱えた音声トラブルを解決することができて一安心している。
新しい技術を試す際には、色々と慎重にならなければならないということを教えられるような体験だった。今日のクラスもとりわけ意見交換が活発になされ、非常に実りあるクラスだったことを嬉しく思う。
一方で、土日のクラスごとの特色や温度の違いなどがあることは確かであるため、三回目のクラス以降からは、クラス内に有意義なダイナミズムが生まれるような場を作っていくように心がけたいと思う。次回のクラスがお盆休み前の最後のクラスとなる。 こうしたオンライン学習において、いかに学びの場を作っていくかは極めて重要だということに改めて気づかされる。これまでのゼミナールは少人数で行うことが多かったため、最初のクラスでは受講者の一人一人に自己紹介をしてもらい、ゼミナールに期待することなどを共有してもらっていた。
こうした機会があることによって、自分の声をクラスの場に発することになり、さらには他者の声を聞くことになり、それがクラスへの関与を生み出していく。言い換えれば、自らの声と他者の声は、その場に安心していられることを促し、それが集合的な学びの場を醸成していくことにつながる。
今回の出版記念ゼミナールではなく、随分と昔のゼミナールの中で、一人の受講者の方が、クラスの内容が夢の中に出てくる、ということを共有してくれたことがある。この方の発言には深い洞察が含まれており、学びというのは実際のクラスだけでなされているものではなく、クラスが行われていない時間においても、そしてそれが夢の中のような無意識の世界においても学びは継続しているのだ。
それこそがまさに学びの特質であり、学びのダイナミズムの大きな特徴だと思う。これは何も学習者だけに当てはまる現象ではなく、講義をする私自身においても当てはまっている。
特にゼミナールの前後には印象的な夢を見ることが多い。学習とは無意識の世界とのつながりの中でなされるものであり、時に学習は、肯定的にも否定的にも私たちのシャドーを刺戟する。
クラスの中で湧き上がる自分のシャドーやクラスを離れた場で浮かび上がるシャドーと向き合いながら学習を進めることは、より実りある変容的な学習を行うために不可欠となるだろう。 ゼミナールの主催者である私自身も頻繁に自分のシャドーと向き合うことを余儀なくされており、同時に受講者の方のシャドーが見えるようなこともよくある。お互いに自分のシャドーに気づき、それと対峙しながら学習を進めていくことは成人学習においてとりわけ重要なことだろう。
特に、ゼミナールの主催者である私自身は、自らのシャドーと受講者の方のシャドーの投影に押しつぶされることなく、より良い学習環境を作ることに専念していく必要がある。学習における集合意識の醸成については、これからも探究を続け、それを実際の場に還元していきたいと思う。
そのようなことを考えさせてくれる第二回のクラスだった。2017/7/30(日)
No.14: Unsophisticated English Vocabulary Recently, the word “artificial intelligence” has been prevalent in various fields. “Human intelligence” is often used as an antonym of artificial intelligence.
Interestingly, it seems that English does not or cannot distinguish artificial “intelligence” from human “intelligence,” although Japanese has two distinct words; human intelligence (人間「知性」) and artificial intelligence (人工「知能」).
I suppose that the Japanese person who coined the two different words could discern a subtle difference between human intelligence and artificial intelligence. Saturday, 8/5/2017