昼食後、オンラインゼミナールの自主勉強会に顔を出し、その後のオフィスアワーの中で、受講者の方々とやり取りをさせていただいた。実際のクラスではなかなか一人一人の方の声を聞くことができないので、こうした場は私にとっても非常に有り難い。
自主勉強会は盛況だったらしく、オフィスアワーの時間にもその充実ぶりが伝わってくるかのようだった。その時間にどのようなやり取りがなされたのかはここに書くことができない。
しかし、実際のクラス以上に重要なやり取りがなされていたという実感がある。私の中では、自主勉強会とオフィスアワーがメインであり、実際のクラスは補助的なものなのだと改めて思った。 オフィスアワーが終わると、明日明後日の実際のクラスに向けた最終準備に取り掛かった。すると突然、明日明後日のクラスは、ロシアの作曲家アレクサンダー・ボロディンの曲を開始前の待ち時間に流そうという思いが湧いてきた。
湧き上がる思いに忠実になり、手元の楽曲リストからボロディンの交響詩『中央アジアの草原にて』を久しぶりに聴いてみることにした。この曲が始まるやいなや、私の意識は過去の記憶の中に溶け込んでいった。
それは今から二年前のことだった。あの日、私はロサンゼルスから日本に向かう飛行機の中にいた。米国での四年間の生活を終え、一年ほど日本に滞在することを決めた私は、あの日飛行機の中にいた。
そして、そこでボロディンの曲に出会った。機内サービスの音楽を何気なく聴いていると、これまで聴いたことのないような特徴を持った曲に私の意識が向かった。
それは、ボロディンが残した『だったん人の踊り』という曲だった。あの時の自分がどのような胸中にあったのかを私は知っている。
『だったん人の踊り』という曲は、あの時の自分を励ますような力を放っていた。曲を最後まで静かに聴き、曲が終わると、この曲の解説が日本語で始まった。
そこで私は、ボロディンという作曲家の生き方に大きな感銘を受けた。ボロディンは30歳までは化学者だったのだ。しかも数多くの優れた研究をなし、学術の世界で地位を築いていた。
ボロディンは30歳を迎えた時、ロシアの作曲家ミリイ・バラキレフに出会って初めて作曲を学び始めた。それまで音楽教育を受けていない者が、しかも化学者としての仕事を継続させながら、このような曲を生み出せるということに、私はただただ驚いていた。
ボロディンの生き様、そして彼が実際に残した楽曲は、学術の世界に身を置くことが遅かった当時の私を大きく励ました。人はいくつになっても新たな道を歩んで行けるのだということ。ボロディンの生き様と彼が残した楽曲から汲み取った意味はそれだった。 日没が近づいたフローニンゲンの空が黄金色に輝いている。先ほどまで見えていた入道雲や飛行機雲は、もはやそこにはなかった。
あの飛行機雲と二年前のあの日の機内の中の自分が、夕日に染まるフローニンゲンの空に溶け込んでいくかのようだった。書斎の中に、『中央アジアの草原にて』が響き渡る。
この曲が描くもの。それは中央アジアの草原で交流するロシア人と東洋人の姿だ。そこに私は、この世界という草原の中で、全身全霊で人類に関与しようとする一人の日本人の姿を見てとった。2017/7/28(金)
No.7: Hidden Dimensions of The Reality
Gloomy clouds are covering the sky in the morning. However, I should not look at the surface dimension of what I can see right now.
A hidden dimension is always waiting for me, and I am awaiting it, too. Here, I can find a deep-blue sky behind the dark clouds. I can also witness a shining universe behind the sky.
Once you can detect the undisclosed dimensions of the external reality, you can discover the veiled dimensions of the internal reality. Friday, 8/4/2017