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1361. 運


巨大な入道雲の間に飛行機雲が走っている。夕方のフローニンゲンの空は明るく、多様な雲が静かに躍動している。

ゆっくりと過ぎゆく入道雲を眺めながら、ぼんやりと今日一日を振り返っていた。早朝に小雨が降り、昼食前に雨が止んだ。

天気予報によると、昼食前から一気に晴れ間が広がり、それ以降はずっと晴れとのことであった。四日分の食料を購入するために、私は近くのスーパーに向かった。

自宅を出発し、空を仰ぎ見ると、そこには青空が広がっていた。買い物を済ませ、自宅に戻る最中に、河川の水の溜まり場にカメの親子を見つけた。この親子はいつもそこにいる。

以前の日記に書き留めていたように、もともとそこはカモメの親子が暮らしていた場所である。いつの間にやらカモメの親子ではなく、カメの親子の生活拠点になっているようだ。

この河川敷を通る時、いつもこのカメの親子の様子をちょっとだけ確認する。なぜかいつもこちら側ではなく、河川に面した家の方に顔を向けている。

今日もその様子を確認すると、いったいこのカメの親子は何を見ているのだろうか、と気になり始めた。もちろん、その問いに対する明確な答えなどカメに聞いてみなければわからないのだが、外側の観察者として仮説を立てることは可能だ。

想像力を膨らませながら、いくつかの仮説を立てることは実に面白い。仮説を立てるときの注意点は、外側の観察者としての視点に基づく方法とカメの視点に基づく方法の両方が存在するということだ。

片方の視点だけではなく、双方の視点を持って想像性に溢れる仮説を立てることに意識を奪われながらも、なんとか家に辿り着いた。帰宅後、手を洗い、購入したものを冷蔵庫に詰めていると、突然激しい雨が降り始めた。

たった数分間の掛け違い。天気予報を裏切る形で激しい雨が降り始めたのだが、その雨も数分しておさまり、淡い太陽光をもたらす空が出現した。激しい雨が降り、それがすぐさま止んだ様子について改めて思いを巡らせていると、自分はつくづく運がいいと思った。

頭の中にいる誰かが私に対して、「あなたは人よりも何か優れていることがありますか?」という問いを投げかけた。その問いに対して私は、「人一倍運がいいことです」と答えていた。

「いつも運がいい」ということは、確かに自分の特徴を表していると思う。運というのは私の理解を超える現象だが、運をもたらしてくれる大きな存在が自分の背後に常にいるような感覚がある。それはいつも私を見守りながら、運を私にもたらしてくれる存在だ。 夕方のフローニンゲンの空をまた眺める。なんともなしにただ眺める。視界に入る入道雲の一つ一つの中に、道路の脇に植えられた木々の葉一枚一枚の中に、運というものが宿っている気がしてならなかった。

そこには運があり、縁があった。そしてそこには、縁があり、運があった。2017/7/28(金)

No.6: Ground of Our Reality

A strong wind continues to run in the external world. It looks like a person who engages in interval training.

Everything I see, hear, and feel is myself. The subject and object disappear and return back to “it.” It spawns various phenomena in this reality.

However, I should remember that the diversity is not the ground of the reality per se but the multifaceted aspects of our reality.

The incessant emerging phenomena are a part of the reality, but they are not the ground of our reality. Thursday, 8/3/2017

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