午前中、複雑性科学の概念を教育研究に適用した論文を四本ほど読んだ。先日にも、複雑性科学と教育に関する専門書を数冊ほどアマゾンで注文していたため、今月と来月は随分とこのテーマについて自分の理解を深めていくことになるだろう。
論文を読み終えたところで、森有正著『デカルトとパスカル』の第一部である、デカルトの哲学思想に関する部分をようやく先ほど読み終えることができた。森先生の仕事を通じて、随分とデカルトの存在が近くなったように思う。
特に、デカルトの探究姿勢と思索の方法論的な進め方には非常に感銘を受けることが多かった。ただし、デカルトの神秘主義思想に関して、とりわけ神の捉え方については、また今後慎重に該当箇所を読み進める必要があるだろう。
私は、人間性の中に神性を見出すというギリシャ哲学の神秘主義思想に近い考えを持っているため、それとは異った考え方を持っているデカルトの神秘主義思想に対する理解がそれほど進まなかった。本書のパスカルに関する第二部は、明日か明後日から読み進めたいと思う。 今週は断続的な雨が降る日が多かった。今日の早朝は晴れていたのだが、昼食後から小雨が降り始めた。
外の世界を吹き抜けていく風とは異なり、今週の天気は、開放できない何かを内側に抱えながら過ごすことを私に要求しているかのようであった。この四日間、自宅から外に出ることはなかったので、昼食後に一階に降りて郵便を確認したところ、三冊ほど書籍が届いていた。
一つは “Complexity Theory and the Politics of Education (2010)”であり、もう一つは “Complexity & Postmodernism (1998)”であり、最後の一冊はモーツァルトのピアノソナタ全曲の楽譜である。前者の二つは、この夏の探究課題と合致するものであり、数日以内に読み始めることになるだろう。
また、モーツァルトの楽譜に関しては、早速中身を確認したところ、ベートーヴェンのピアノソナタよりも型を取得するにはふさわしいように思えた。今夜の作曲実践からこの楽譜を用いたい。
夕方の仕事に取り掛かる前に、昼食時に浮かんでいた考えについて書き留めておきたい。昼食を食べながら、この一年間論文アドバイザーを務めてくださったサスキア・クネン教授との共同論文執筆についてあれこれと考えを巡らせていた。
昨年に取り掛かっていた修士論文をもとに、クネン教授とそれを査読付き論文としてどこかのジャーナルに投稿しようと思っている。その論文のみならず、もう一つ短めの査読付き論文を執筆したいと考えている。
そのアイデアについて、先ほどの昼食時に少しばかり考えていた。具体的に今執筆したいと思うのは、発達研究にコンピューター・シミレーションを活用する意義とその方法に関するものだ。
このテーマは、ちょうど先日、クネン教授がJournal of Adolescenceに投稿していた論文のものと同じであり、私はその論文に記載されていない観点と自分なりの問題意識を持って、クネン教授にセカンドオーサーになってもらいながら短めの論文を執筆したいと思う。
第二弾の書籍が出版されたことによって、再び私は学術研究の方に集中できる環境が整いつつある。また、あの書籍を出版した時と同じような執筆欲求というものが学術論文の執筆に対して湧いており、これから少しずつそれを形にしていこうと思う。
書籍でも論文でも同じだが、書こうと思っているだけではいつまでたっても何も書くことはできない。有無を言わせぬ形で書き始めるのが賢明な行動方針だ。
私が日々の日記を遥かに凌ぐ投入量と文章量を持って、学術論文の執筆に本格的に従事し始めるのは、今から数年後の時期に設定しているが、そうした熱情期に入る前から、少しずつ査読付き論文を経験豊富な研究者と共同執筆していくことが大事になる。
現在構想中の論文は、発達研究において新たな発見事項を得るためのアプローチとして、データから発見事項や理論を導くという一般的なものではなく、研究者自身が構築した概念モデルや理論モデルにコンピューター・シミレーションを活用することによって新たな発見事項を見出していくアプローチ、さらには、既存の仮説的理論を検証するためにコンピューター・シミレーションを活用し、そこから新たな発見事項を導いていくというアプローチに関するものを予定している。
投稿先ジャーナルは、Developemental Reviewを含め、クネン教授から教えてもらったいくつかの候補を考えている。水を飲むのと同じように、日々の日記を書くのと同じように、論文を書きに書く日の実現に向けて、この秋からの一年間は非常に大切な時期となるだろう。2017/7/16(日)