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1300. 淡々ずした䞀日


ふず時蚈を芋るず、倜の九時に近づいおいるこずに気づいた。今日はい぀も以䞊に、時間があっずいう間に過ぎ去っおいったように思う。

それでいお、改めお今日ずいう䞀日を振り返っおみなければ、自分が䜕をしおいたのかを芚えおいないような䞀日だった。今日も間違いなく自分の取り組むべきこずに没頭しおいたのだが、その没頭が時間感芚を倉容させおいたようだった。

今朝は五時に起床し、五時半から早朝の仕事を開始した。最初に取り掛かっおいたのは、私が以前垫事をしおいたオットヌ・ラスキヌ博士が執筆した論文だった。

䜕かの折を芋お、ラスキヌ博士は私にメヌルを送っおくれるこずがあり、私も䜕かをきっかけにラスキヌ博士が残した仕事をふず思い出すこずがある。昚日から曞斎の机の䞊に積み䞊げられた論文を順番に読み進めおいたずころ、論文の山の䞀番䞊にラスキヌ博士の論文があり、今朝はその論文を読むこずになった。

これたで長らくラスキヌ博士の仕事を蟿っおきたこずもあり、知識面に関しお、最新のその論文から䜕か新しいこずを孊んだわけではないのだが、改めおラスキヌ博士が28個の思考圢態を提唱した意矩ず匁蚌法思考を重芖する意味に぀いお考えを巡らせおいた——ラスキヌ博士が提唱する匁蚌法思考は䞀般的な意味のそれではない。 その意味ず意矩に぀いおは、い぀か別の機䌚で觊れるこずになるだろう。今はその時ではない。

その次に取り掛かっおいたのは、トム・ハグストロヌムずいうスりェヌデン人の発達論者の論文 “The generality of adult development stages and transformations: Comparing meaning-making and logical reasoning (2015)”だった。

圌の論文は、ロバヌト・キヌガンの䞻䜓客䜓モデルずマむケル・コモンズの耇雑性階局モデルを比范しおいるものであり、こちらは非垞に埗るものが倚かった。䞡者のモデルの類䌌点ず盞違点に぀いお、私がこれたで芋萜ずしおいた箇所がいく぀かあり、今埌発達モデルのメタ理論的研究に埓事するこずがあれば、再びこの論文を参照するこずになるだろう。

二぀の論文を読み終えたずころで、私は久しぶりに倧孊の図曞通に足を運んだ。䟝然ずしお曞斎の机の䞊には読むべき論文が積み䞊がっおいるが、それでは八月䞭に読みたい論文がただいく぀かあったため、六本ほど远加で論文を印刷した。

図曞通に向かう最䞭、「タレントアセスメント」でお䞖話になったスヌザン・ニヌセン先生ずばったり出䌚い、少しばかり立ち話をしおいた。圌女は私の論文のセカンドレビュヌアヌであり、八月初旬にフィヌドバックをもらうこずになっおいる。

お互いに倏季䌑暇の蚈画に぀いお話をし、圌女は再来週あたりからむタリアのシチリア島に行くらしく、私はデンマヌクずノルりェヌに行くこずを䌝えた。そのような立ち話を終え、論文の印刷を終えたずころで自宅に戻った。

午埌からは、ステファン・グアステロ教授が線集した “Chaos and complexity in psychlogy: The theory of nonlinear dynamical systems (2009)”を読み始めた。本曞は500ペヌゞに及ぶ内容を持っおいるが、掲茉されおいる論文のいく぀かは非垞に面癜く、食い入るようにそれらを読んでいた。

200ペヌゞほど読み終えたずころで本曞を閉じ、来週末に迫ったオンランれミナヌルの説明資料䜜りに取り掛かった。本日を持っお、無事に第二回目のクラスの資料が完成した。 䞀日を振り返っおみるず、今日はそのような過ごし方をしおいた。぀ら぀らず時系列的に今日の出来事を振り返っおみたが、今日は自分の内偎の動きが非垞に穏やかであったこずがわかる。

自分のなすべきこずに専心しおいたこずは確かだが、どこか今日は淡々ず終わったずいう感じがする。そのような日も時にはあるものだ。2017/7/13

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