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1259. 観察ではなく鑑賞を


今日は完全に曇りのようである。雨雲ではなく、薄い雲が空全体を覆い、それは太陽の光を完全に遮断している。

通りに植えられた木々の葉が静かに動いているのが見えるのだが、それを生じさせている風をそよ風と形容することがためらわれる。太陽の光が燦然と降り注ぐ日であれば、それは間違いなくそよ風と私は呼ぶであろうが、今日はそのように呼びたくなかった。

随分と長い間気に留めていなかったが、書斎の窓の向こう側には、赤いレンガ造りの家々が並んでいる。それはどれくらい歴史のあるものなのかわからない。

はっきりと言えるのは、このようなレンガ造りの家は日本では滅多に見ることができないということである。そのようなことを考えていると、そのレンガ造りの家々が、重厚感を持って景色の中に存在していることに気づいた。

これに気づいてしまった時、私はもはや、書斎の窓から景色を眺める際にこれらの赤いレンガ造りの家々を無視することはできないだろう。これからオランダのこの地で過ごす毎日において、私は通りに植えられた木々だけではなく、その上に広がる空だけではなく、この赤いレンガ造りの家々を絶えず観察することになるだろう。

いや、それら三つで織り成された景色を観察するのではなく、それらを鑑賞すると述べた方がいいかもしれない。客観的な眼を通じて対象を観察するのではなく、主観的な眼を持ってそれらを鑑賞するのだ。

鑑賞には観察にない、自己の存在と対象との相互作用がある。自己の内側が変化すれば、鑑賞対象も変化する。鑑賞対象が変化すれば、自己の内側も変化する。両者はそのような関係で結ばれている。

そのようなことを考えていると、書斎の机の配置を今の場所にしたことは正解であったように思えた。実は当初、書斎の机は窓に面しておらず、白い壁に面していたのだ。

その状態の中で仕事を続けていく中で、ある時ふと、息が詰まるような思いに苛まれた。その時、これからは絶えず外の景色を眺めながら仕事をしようと思い、机の配置を変えることを思い至った。

それ以降、私は絶えず窓の外の景色を眺めながら仕事に従事している。ふと視線を上げれば、そこには常に外側の世界が広がっている。このことがいかに私を支え続けてくれたことか。その恩恵は計り知れない。

量子的な時間単位で刻一刻と変化する外の景色は、それと同様の時間単位で変化する私の内側の世界と調和をなしている。この調和が、持続的な仕事を可能にしてくれているのだと改めて感謝の念を持つ。 今日は午前中に、ステファン・グアステロの “Managing Emergent Phenomena: Nonlinear Dynamics in Work Organizations (2002)”とゲラルド・ヤングの “Development and Causality: Neo-Piagetian Perspectives (2011)”に取り掛かる。

前者は、非線形ダイナミクスと組織論を架橋するような内容になっており、本書を通じて、企業組織の課題に対して非線形ダイナミクスの概念や方法を適用する洞察が得られるだろう。後者は、800ページを超す大著であり、新ピアジェ派の発達理論に関する詳細な分析とヤング自身が提唱する独自の発達理論が紹介されている。

これは過去に一読をしているため、今回は特に、ダイナミックシステム理論に触れている箇所やカート・フィッシャーの理論に触れている箇所を中心に読み返したいと思う。書斎の景色に支えられる形で、とりあえず午前中はこれらの二冊に取り組む。2017/7/5

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