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1224. 出版記念対談を振り返って

昨日は、オンライン教育に関する論文を数本読み、先日ライデンの「スピノザ記念館」で購入した論文集をいくつか読んだ。それ以外には特に何かを腰を据えて読んでいたわけではなく、知人からの質問に回答するために、書斎にある論文や書籍を拾い読みするようなことを行っていた。

残る時間に関しては、他の諸々の仕事に従事していた。昨夜の就寝前は、やたらと頭が冴えており、すぐに寝付くことができなかった。

しかし、それは否定的なことではなく、私にとっては肯定的なことだった。というのも、そこで自分の頭の中で駆け巡っていた諸々の思念や感覚が、実に肯定的な内容を持つものであり、同時に、絵も言わぬ躍動性に満ちていたからである。

そのおかげもあってか、今日は起床直後から、いつも以上に午前中の仕事に向かう気持ちが晴れ渡っていた。そうした気分の中、先日行われた、鈴木規夫さんとの対談について振り返っていた。

ちょうど昨日、対談音声を自分でも再度聞き返した。聞き返してみると、その瞬間になぜ自分がそのような回答をしているのか不思議に思うような箇所や、説明が不十分な箇所が散見された。

また、細かな事実上の誤りなどもあり(例:フィッシャーは確かにイェール大学を卒業しているが、それは学士の時であり、バラス・スキナーに師事し、ハトの研究に従事して博士号を取得したのはハーバード大学である)、話し言葉をその場で生み出していくことの難しさを再確認させられ、私自身には人に何かを話すことの適性があまりないのかもしれないと思わせるには十分であった。 対談の中で、あえて修士号に留まっている理由についての質問があったが、録音を聴き直してみると、あの時に語っているほどに単純な理由ではないことに気づく。確かに今の私は、学術研究に並行する形で、日本企業と協働させていただく機会を得ている。

純粋な学術研究以外にも、仕事があるというのは、現時点で博士号に進んでいないことの一つの理由なのは確かだ。欧米の大学院における博士課程の知的鍛錬の厳格さを十分承知しているが、それ以上に重要な理由は、博士課程のように、学術機関に完全に組み込まれる形では探究できないものがあるということが大きいだろう。

例えば、以前紹介したように、フローニンゲン大学の場合、博士課程に進む者は、学生として扱われるのではなく、一人の研究者として大学の従業員として扱われる。日本であれば、博士課程に進学する際には、学費を払うことになるだろうが、欧米の一流校の博士課程において、学費を払うことはなく、それどころか、生活費などが支給される。

中でも、オランダを含め、欧州の一流校における博士課程では、研究者として大学から雇われる形態を取るため、給与が支払われるのだ。学術探究をしながら給与が支給されるというのは、それは非常に恵まれた待遇なのだが、そこには雇用者の存在があるがゆえに、完全に自由な探究活動に打ち込むことは難しい。

博士課程に在籍している友人に話を伺ってみると、もちろん、研究テーマの設定に関して自由裁量が与えられているし、研究テーマに関する知識や技術が不足していると感じるのであれば、大学内や大学外で提供されている講義に自由に参加することができる。

彼らは、海外の学会に行くにも、他の大学で提供されるワークショプに参加するにも、フローニンゲン大学からの資金的援助があるのだ。そうした環境の中で、探究活動に勤しむことができるというは大変恵まれている。

しかし、そうした大学の庇護下にあっては、今私が行っているような、自分の研究とは無関係な書籍や論文を旺盛に読み進めていくことはなかなか難しい。少なくとも、後二、三年ほどは、自分の研究テーマと直接的な関係はないのだが、自分を捉えてやまない書籍や論文を読むことを優先させたい、という思いが強くある。

そのため、現在の私はあえて博士課程に進んでいないというのがある。対談の中で、三つ目の修士号を取得した後に、博士課程に進む意志を表明していたが、実際には、三つ目の修士号を取得した次の一年に、米国で四つ目の修士号を取得するか、フローニンゲンにもう一年ほど滞在する中で、査読付き論文をいくつか執筆することを選ぶかもしれない。

いずれにせよ、ここからの二、三年は、博士課程における厳格な知的訓練に向けた準備期間として、研究テーマと直接的に関係しない書籍や論文を旺盛に読み、その過程の中で文章を書き続けることを行いたい。2017/6/27

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