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1221. 日本で根強いピアジェの発達段階理論に関する誤解


先日、知人の方から、日本の教育学者の方たちが、ピアジェの発達段階理論を極端に否定する傾向にあることを聞いた。実際にいくつかの議論を教えていただいたところ、その議論の進め方は、非常に乱暴であったことにひどく驚いた。 ピアジェが発達段階理論を提唱して以降、ピアジェの理論に対する反証研究がなされ、ピアジェ理論の一部に誤りが見つかったことは確かである。しかし、それれらの研究は、発達段階の存在そのものを否定するようなものではなく、ピアジェの発達理論を根幹から否定するようなものではなかった。 具体的に何が反証されたかというと、子供たちの発達過程の中に「固定的(不変的)」な発達段階が存在するというピアジェの主張である。広く知られているように、ピアジェは、感覚操作段階から具体的操作段階を経て、形式操作段階に至るという発達理論を提唱した。

例えば、ここでピアジェは、一つの課題に対して子供たちが発揮する具体的操作段階の能力を持ってして、他の領域におけるその子供の能力を具体的操作段階のそれだとみなすような理論を構築していた。

しかし、後年、ピアジェ自身、自らのそうした理論的誤りを修正しようと試み、拙書『成人発達理論による能力の成長』のコラムで紹介しているように、「垂直的な溝」や「水平的な溝」という概念を用いながら、発達段階というものが、与えられる課題に応じて変動することを指摘している。 ピアジェの理論に対する反証実験とは、まさに、課題が異なれば、子供たちは全く異なる段階の能力を発揮しうる、ということを示すものだったのだ。ゆえに、これは発達段階の存在そのものを否定するようなものではなく、発達段階の固定性(不変性)を否定するような実証結果であった。

そして、発達段階の存在や性質に関して、これらの反証実験をもってして、その議論が収束したと思いがちな教育学者が日本にいるようだ。 実際には、発達段階の存在や発達段階の性質に関する議論は、1960年代以降において活発に行なわれている。一昨年読んだ論文 “The stage question in cognitive-developmental theory (1978)”には、カート・フィッシャーを含め、ジョン・フラヴェルやジュネーブ大学でピアジェに直接師事をしていたアネット・カミロフ=スミスといった発達科学の重鎮たちが、発達段階について様々な角度から意見を寄せている。 また、2000年代に入ると、複雑性科学の観点を導入した、より高度な次元で発達段階の存在とその性質に関する議論が展開され始めている。特に、ダイナミックシステム理論を幼児の身体運動の発達に適用したエスター・セレンと、ダイナミックシステム理論を認知的発達研究に適用したポール・ヴァン・ギアートとの間でなされた議論が有名である。

前者は「ブルーミントン学派」に属し、後者は「フローニンゲン学派」に属し、両者の発達思想の違いとその論争については、以前の日記で紹介したように思う。 そのため、両者の議論の詳細については省略するが、セレンは確かに、固定的な発達構造を否定しながらも、発達にはプロセスがあり、それは行動や環境との相互作用によって「緩やかに構築されるもの (softly assembled)」として捉えている。

一方、ヴァン・ギアートも、ピアジェの固定的な発達構造モデルを否定しながらも、無数の発達領域におけるいずれの能力も、時間の経過とともに徐々に構築されていくものであり、それは与えられた課題や置かれている環境によって大きく変動する余地を持っている、ということを実証結果から明らかにした。 端的に述べてしまうと、現在の発達科学の世界において、「ピアジェの発達理論は学術的に認められていない」などという乱暴な発言を述べることは間違ってもできず、私たちの持つ多様な能力は、変動性を備えた発達プロセスを持っているという考え方に関して、ダイナミックシステム理論に造詣の深い現代の発達科学者はほぼ一致した見解を持っている。 また、発達理論は教育実践に有益ではない、という考え方も日本の教育学者の中で共有されている傾向にあるようだ。この傾向も大きな問題があるように思える。

発達科学の知見は、絶えず教育的な実証研究にさらされる形で発展してきたという特徴を持っている。また実際に、私が在籍していたレクティカの試みやフィッシャーが参画していたニューヨークのロス・スクール(Ross School)などは、発達理論を根幹に据えて教育実践を行い、その教育効果についても実証研究を重ねている。

さらに、過去の偉大な教育思想家であるモンテッソーリやシュタイナーの思想は、まさに発達理論に裏打ちされており、ジョン・デューイもジョージ・ハーバート・ミードの発達思想に多大な影響を受けており、彼らはすべて、発達理論を基礎に据えた教育実践を提唱していたと言えるだろう。 最後に、上記の中で登場したポール・ヴァンギアートも含め、近年の発達科学において「発達」という現象がどのように扱われているのかは、私の論文アドバイザーであるサスキア・クネン教授が編集した書籍 “A Dynamic Systems Approach to Adolescent Development (2012)”が非常に参考になるだろう。2017/6/26

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