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1189. 『成人発達理論による能力の成長』:高度な能力と具体的な行動との関係性


第二弾の書籍の発売日とフローニンゲン大学の最終試験の期間が重なり、心中穏やかではない。そのような日も、ようやく明日で終わる。

明日からは実質上、夏期休暇に入り、ここから二ヶ月強の間、私はなすべきことをなそうと思う。それは、全く異なる場所に行くための必然的な準備である。

この期間をどのように過ごすかの気概はすでに充満しており、具体的に何をなすべきかも明確である。明日の午後に最終試験が全て終わるその瞬間から、全ての新しいことが始まる。 書籍が出版されてから三日が経ち、早速何人かの知人の方から読了後の感想を教えていただいた。その中でも一つ、重要な質問事項をここで取り上げたいと思う。

その質問の趣旨を端的に述べると、カート・フィッシャーのレベル尺度において高度な段階に到達している人が実際に発揮する具体的な行動についてである。言い換えると、能力レベルと具体的な行動との関連性に関するものだ。

例えば、「マネジメント能力」というものを例に取った場合、「マネジメント」という概念に対して、仮に原理レベル(レベル12)の力を持っていたとしても、具体的な行動としてそれが現れるのかどうか、という問いにつながる。

より具体的には、マネジメント論に関して高度な原理原則を構築している人が、他者への関わり方が自己中心的になってしまったり、他者への配慮を欠き、結果としてチームを巧くマネジメントすることができないケースもあるのではないか、ということだ。

確かにこうしたケースは起こりうる。なぜなら、マネジメント能力を構成するサブ能力に関して、それらの構成要素のレベルがどういったものかによって、各要素で発揮される具体的な行動が左右されるからである。

例えば、マネジメント能力を構成する「他者理解能力」や「関係性構築能力」が低い場合、それらは、他者理解や関係性構築の欠如といった具体的な行動において現れる。だが、忘れてはならないのは、原理原則レベルに到達するというのは、そもそもそれらの構成要素が高度なレベルに到達してなければならない、ということである。

さらに、本書の中で「位置エネルギー」の比喩を用いたように、各要素の能力は常に具体的な行動と結びついており、能力の高度化は、その具体的な行動が持つ実践力に他ならない。また、マネジメントに関して、真に原理原則レベルに到達している人というのは、その人の思考は行動に具現化され、言行一致の精神でマネジメントに当たれる人のことを指す。 より専門的な論点を述べるならば、フィッシャーの能力の高度化は、心理統計の観点から、具体的な行動との対応関係を担保しているのだ。これは、心理統計の古典的な問題であり、それは妥当性に関するものである。

つまり、フィッシャーのレベル尺度を用いて「マネジメント能力」を測定しようとするのであれば、必ず具体的な状況と具体的な課題を設定することがまず行われる。ここでは要するに、測定しようとするマネジメント能力と現場でのマネジメント能力の合致度合いを確保するような試みがなされるのだ。

フィッシャーのレベル尺度を活用して実際のアセスメントを開発する際には、より複雑なプロセスを経なければならないが、端的には、測定しようとする能力と現場での具体的な能力の発揮のされ方の乖離度合いを何度も検証し、妥当性の高い測定手法を開発していくことになる。

結果として、ある能力において原理原則レベルに到達している人は、実際にそれを現場で具体的な行動として発揮することが可能になる。原理原則レベルに到達している能力と具体的な行動の関連性が見られないことも多いのではないかという質問は、観察している具体的な行動が、そもそも別の能力を表すものであることを見逃している可能性から生まれているかもしれない。

要約すると、フィッシャーの能力尺度において高度な次元に到達するというのは、常に具体的な行動と密接に結びついており、具体的な状況における具体的な課題に対してその能力を高度に発揮できることを意味しているのだ。2017/6/18

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