午前中の仕事に取り掛かる前に、最後にもう一つだけ書き留めておきたいことがあった。
それは、第二弾の書籍『成人発達理論による能力の成長』に記載した、「能力の高度化と実践力」の関係性についである。私は本書の中で、能力の高度化に伴って実践力が高まるということの意味について説明し、その注意点を明記していた。
しかし、改めて振り返ってみると、もう少し言葉を付け加えなければ、少々誤解を生みかねないと思った。あるいは、既存の誤解が解けないままに、能力の高度化と実践力を結びつけてしまいかねないと危惧した。
ここで、実践力というのは、知識と経験を具体的な状況における具体的な課題に対して適用する力だと捉えている。その意味を踏襲するのであれば、実践力という言葉を「パフォーマンス」という言葉に置き換えてもいいだろう。
しかし、最もありがちな誤解は、「意識の発達が高まればパフォーマンス」が向上するというものである。この誤解の原因はどこにあるのだろうか?
それは端的に、還元主義的な発想と心理統計に関する基礎的な知識の欠落に原因があるのではないだろうか。まず、還元主義的な発想というのは、本書で指摘したように、ロバート・キーガンやビル・トーバートをはじめとした発達理論で取り扱われている領域は、私たちの能力が持つ無数の領域のうちの一つに過ぎないにも関わらず、意識の発達を無数の能力領域と安易に関係付けてしまうことを指す。
繰り返しになるが、意識の発達をもってして、個別具体的な能力のパフォーマンスが向上するという実証研究は今のところ存在せず、意識の発達もまた一つの能力の発達に過ぎないということを頭に入れておく必要がある。
確かに、意識の発達によって、その領域と密接に結びついた能力(例:自己認識能力など)は向上するのだが、それ以外の能力の向上と安易に結びつけてはならない。そして、この問題と密接に関係しているのが、心理統計に関する基礎的な知識の欠落である。
特に、「妥当性(validity)」という概念の欠落が、意識の発達と個別具体的な能力を安易に結びつけてしまったり、間違った形で能力の高度化と実践力の高度化を結びつけてしまいかねないと危惧している。
心理統計の文脈において、妥当性というのは、「測定手法が測定したいものとどれだけ合致しているのか」という度合いを指す。ここでの話を元にそれを言い換えると、妥当性というのは、意識の発達と個別具体的な能力との合致度合いである。
意識の発達について取り上げる人の中で、この妥当性という概念が恐ろしく欠落しているように思えて仕方ない。意識の発達と実際のパフォーマンスとの関係を真に検証することなしに、安易に両者を結び付けようとする様子を頻繁に目撃する。
また、これは意識の発達に限らず、個別具体的な能力を取り上げる際にも当てはまる。つまり、仮に「意思決定能力」という個別具体的な能力をトレーニングの対象、もしくは測定対象に取り上げたのであれば、トレーニングの内容や測定の評価は、必ずその個別具体的な能力に紐付いていなければならない。
これは至極当たり前なことなのだが、実際にはこの結びつきが脆弱であることをよく目撃する。要するに、パフォーマンスの評価をする際に、そもそも最初からそのパフォーマンスと紐付いていない能力を測定対象としていたり、トレーニングの実施において、真に開発を意図する能力と紐付かないようなトレーニングを提供しているということだ。
厳密には、妥当性にも様々な種類があるのだが、能力開発の現場や能力測定の現場では、このように、妥当性という概念に対する意識が非常に希薄であるように思える。とりわけ、発達理論をもとにした測定手法を開発する者やそれらを活用する者の中で、こうした傾向が見られることには注意が必要だ。
実際には、複数存在する発達測定のうち、どの測定手法が何を測定し、それぞれの測定手法の妥当性がいかほどなのかを把握しようとする人が意外なほどに少ない。そうした意識が実に希薄な現象が見られるのだ。
実際のところ、発達測定の中では、ロバート・キーガンの「主体・客体インタビュー」、スザンヌ・クック=グロイターが洗練させた、ジェーン・ロヴィンジャーの「自我発達測定(文章完成テスト)」、レクティカの「LAS」、マイケル・コモンズの「階層的複雑性測定」の手法は、妥当性に関する実証研究がなされ、それらは妥当性の確保されたものであることが示されている——妥当性の確保の前に、「信頼性」が確保されていることは言うまでもない。
一方で、スパイラルダイナミクスと呼ばれる意識の発達測定に関しては、妥当性に関する研究はなされておらず、すでに専門家の中では、この手法の妥当性と信頼性は極めて怪しいものだと見なされている。このように、発達測定には複数のものがあり、それぞれに妥当性が異なることに注意をしなければならない。
また、どの測定手法が何を測定するものなのかということについても、明確な知識を持たなければならない。そうした知識がなければ、私たちは誤った形で発達測定を活用してしまうことになるだろう。2017/6/18