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1180. 知識と経験を適用する「能力」


第二弾の書籍『成人発達理論による能力の成長』の中で取り上げている、「能力」というものがそもそも一体何を指すのかについて、改めて先ほど考えていた。

私は書籍の中で、「能力」というものを、「これまでに培った知識と経験を具体的な状況の中の具体的な課題に対して適用していく力」と定義していた。この定義に関しては、今のところ大きな変更はない。

もしかすると、こうした定義を持つ能力に対して、能力というものが単純に、言語化できる力だけを指しているのではないか、と誤解される方もいるかもしれない。しかし、私は本書の中で、人間の能力を言語化能力だけに限定して捉えていたわけではない。

ハワード・ガードナーの多重知性理論が指摘しているように、言語化能力というのも、一つの能力の種類に過ぎず、私たちの能力はそれ以外にも無数の種類がある。ただし、私たちが知識と経験を具体的な課題に対して適用していくことを継続させていくと、興味深いことに、その固有の領域内において、知識と経験を適用する理論のようなものが自分の内側に構築されていくのだ。

これはまさに、ある領域や分野における「持論」と呼ばれるものである。そしてさらに興味深いのは、こうした持論の形成過程とその産物が何に如実になって現れるかというと、その最たるものが言語なのだ。

そして、知識や経験の適用力の差異、つまり持論における構造的な差異は、その人が用いる言語の中に如実に現れるのだ。これは言語優位型というタイプ論的な話とは関係なく、仮に言語優位型のタイプでなかったとしても、知識と経験の持論はその人の言語の中に現れる。

カート・フィッシャーのダイナミックスキル理論におけるレベル尺度は、言語化の巧拙を問うものではないことを書籍の中で言及していたように思う。また、言語化された内容だけに着目するのではなく、語られている知識と経験をいかに一つの理論としてまとめ上げていくかの構造の中に現れる差異に着目していくのである。 本書に記載されていない表現で言えば、能力というのは、知識と経験を一つのメンタルモデルとして構築し、それを目の前の具体的な課題に適用していく力だと捉えることができる。そして、構築されたメンタルモデルの中に、多様な質的差異があるのだ。

それは、単純な構造から徐々に複雑性を増していき、より洗練されたメンタルモデルになっていく。フィッシャーが提唱した12個のレベル表記はまさに、メンタルモデルの複雑性の区分だと述べていいだろう。

私たちがより複雑な問題に直面する際には、その問題と同等以上のメンタルモデルを活用しなければ、その問題を解決していくことができない。ここでも重要なのは、繰り返しになるが、そうしたメンタルモデルというものは、それが自然言語にせよ、数学言語にせよ、言語的(記号的)なものであることに変わりはないということである。2017/6/16

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