「タレントアセスメント」のコースの最終試験を終えた私は、自宅に戻ると、すぐさま「成人発達とキャリアディベロップメント」のコースの最終試験に向けて、取り上げられた21本の論文を読み返すことにした。
この歳になってようやく、知識というものがどのような性質を持つものであり、どのような方法やプロセスによって、知識の体系が自らの内側に構築されていくのかが見え始めている。
これはもちろん、認識論や発達理論を学んできたことが幾分貢献しているだろうが、それよりもむしろ、自分の中での苦悶と格闘する中で、徐々に知識の性質やその体系化の道筋を掴んでいったと言える。
しかしながら、現在になってようやくそれらを掴み始めたというだけであり、知識には、今の私にはまだ見えていない性質が無限に残されているのも確かだろう。一つ一つの知識と向き合う中で、そして、それらを一つの体系として構築していく過程の中で、知識の本質を今後も探究し続けたい。
知識が持つ性質とその体系化の道筋が見え始めているというのは、今の私にとってとても朗報である。冒頭で、「この歳になってようやくそれに気付き始めた」ということを書いたが、この歳で気付き始めることができて嬉しく思う。
というのも、一昨日の就寝前に、またしても自らに残された時間について考えを巡らせた時に、自分の仕事がようやく始まりを迎えたにすぎないことを知ったからである。つまり、私には、多くのことを徐々に積み重ねていくための時間的猶予が残されているということを知ったのだ。
もちろん、人生において時の流れは残酷なまでに早いように感じることがある。その一方で、人生というものが一つの緩やかに進行する流れだと感じることがある。
どちらもおそらく正しい認識であり、一人の人間がなすべき仕事を考えてみたときに、人生というものは、後者の認識の中で、日々の仕事を深めていく形で営んでいくことが望ましいように自分には思える。
一昨日の就寝前は、西暦3000年における自分について思いを巡らせていた。その時を迎える頃、私は115歳になっている。
人生というのは一瞬先に何が起こるかわからないが、仮にその歳まで生きることができていれば、今と変わらないような精神性を持って日々を過ごしたいと思う。
あるいは、今の自分には見えない境地の精神性で毎日を過ごしたいと強く思う。就寝前というのは、いつも奇妙な考えが芽生えるものであり、90歳から95歳までは、学術機関で何かを教える立場かつ学ぶ立場でありたいと思った。
そこから、西暦3000年に向かっての20年、25年ほどは、ただ愚直に追求するべきものを追求し、創作するべきものを創作することに捧げるような時期にしたいと思った。世間一般で言えば、90歳か95歳で退職した後に、それほどまでに時間が残っていることを私は大変嬉しく思った。
仮に一人の人間における最も固有の特性が、一生涯にわたって不変であれば、私は最後の最後まで熱情を通して生きることになるだろう。
西暦3000年に向けて、私はできる限りの献身と準備を、今日という日々の生活の中に具現化させていきたい。2017/6/15