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1161. 深層意識の変化と日本の心象風景


フローニンゲン大学の一年目のプログラムを締め括る最終試験が二つ迫ってきているためか、それとも第二弾の書籍『成人発達理論による能力の成長』が世に送り出される日が近づいてきているためか、私の無意識の層に荒波が立っている。

それは肯定的なものでも、否定的なものでもないという印象を持っているが、そうした現象が私の深層意識で起こっていることは確かなのだ。それを表すように、ここ数日間の睡眠中の私の意識はいつもと異なっている。

昨夜は特に、夢の中で湧き上がったテーマについて文章を書き留めておこうとする、欲求のようなものが強烈に湧き上がっていた。実際にそれを抑えることはできず、ある時点に到達すると、半覚醒状態の意識の中、私は自分の右手を使ってノートに何かを書き綴る仕草をしていた。

半覚醒状態の私は、本当に文章を書き綴っていると思い、夢の中のテーマを逃さずに文章の形にできたことに安堵していたのであるが、意識がより鮮明になると、私はまだ寝室の中にいることに気づいた。さらには何もメモしていないことに気づき、少しばかり残念な気持ちになるのと同時に、滑稽な気持ちになった。

三つか四つほど、文章の形にしておかなければならない自分の考えのようなものがあり、それが何だったのかは、起床した私の意識からすっかり抜け落ちてしまっている。夢の中の自分を振り返ってみると、それは「何かに取り憑かれながら駆り立てられている」という表現では的確に自分の姿を表していないことに気づく。

どうやら私は、よりふさわしい言葉を自分で見つけるときに差し掛かっているようだ。しかし、「何かに取り憑かれながら駆り立てられている」という言葉以上の言葉を見つけるのは簡単ではない。

今の自分の状態、とりわけ私の無意識の状態を的確に捉えるような言葉を探していこうと思う。そうでなければ、当分この状態が収まることはないだろうし、進むべき次の場所に行くこともできないだろう。 早朝目を覚ましてみると、寝室の窓の向こうに燦々と輝く朝日が見えた。それを見たとき、天気予報が外れたことを少しばかり嬉しく思った。

昨日見た天気予報によると、今日は雨のはずであった。だが、現実の今日は雨がまだ降っていない。

六月も第二週目に差し掛かり、日本はおそらく梅雨の季節だろう。日本の梅雨が私の中で一つの心象風景を成し、日本にいなくても、日本の今の梅雨の様子がどのようなものであるかが、ありありと感じられる。

もんわりとした生暖かさの中でしとしと降り続く雨。どんよりとした空に時折顔を覗かせる晴れ間。梅雨独特の空気感。そして、アジサイなど。

日本の梅雨を取り巻く様々な感覚や心象風景が、私の内側から消え去ることはない。これは、私の内側の深くに、日本の姿が刻まれていることを示すのに十分であろうし、絶えず日本と私が繋がっているということを示すのに十分であった。

内側で蘇る感覚と心象風景とは打って変わり、実際の今の私を取り巻いている環境は幾分異なる。薄青色の空が広がり、乾燥した大地に穏やかな風が流れている。

朝夕は涼しいというよりも寒いぐらいである。全てはこの生活の中にあり、全てはこの生活から始まるのだと思う。2017/6/12

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