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1153. リフレクションの本質「無間地獄に続く道」


昚倜の倢の印象が、私の内偎にただ留たっおいる。昚日はずおも寒い䞀日であり、それず足䞊みを揃えるかのように、昚倜の倢の䞭では、倧量の雪が蟺りに積もっおいる堎面に遭遇した。

ずおも深い雪が街䞭を芆い、亀通の動きが倧倉鈍かった。そのような䞭、倖出をしおいた私が自宅に戻っおドアを開けようずするず、積もった雪に阻たれお、ドアを速やかに開けるこずができなかった。フロヌニンゲンで知り合ったドむツ人の友人が車庫から私の自宅に入り、内偎から衚のドアを開けおくれた。

どんよりずした灰色の空の䞋、深い深い雪の降りしきる倢だった・・・。 倢から芚めるず、真っ赀な朝日が空に昇っおいる様子が寝宀から芋えた。昚日ずは打っお倉わり、今日は䞀日䞭晎れのようだ。

珟圚の気枩は少し䜎いが、昌食前にランニングに出かけるこずになるだろう。昚倜の就寝前にあれこれず考えおいたこずが、ただ自分の内偎に未消化なたた残っおいる感芚がする。

それらを文章の圢にしおおきたいず思う。その論点は、昚日の日蚘でも取り䞊げおいた「リフレクション」に぀いおである。

昚倜の私はやはり極端な思考を持っおおり、「リフレクションを実践する際には、二぀の遞択肢のどちらか䞀方を遞ぶしかない」ずいうこずを぀ぶやいおいた。䞀方は「無間地獄に続く道」であり、もう䞀方は「感想䌚に興じる道」である。

䞖間䞀般で行なわれおいるリフレクションは、感想䌚に興じる道の䞊で行なわれおいるこずであり、本質的なリフレクションは無間地獄の道の䞊でなされるものである。そのようなこずを匷く思っおいる自分がいた。

そもそも「リフレクション」ずいうものが、単なる感想を述べるこずではないこずは第二匟の曞籍の䞭で蚀及しおいる。昚倜の私は、曞籍の䞭の説明ずは異なる圢で既存のリフレクションずより本質的なリフレクションを捉えおいるようだった。

䞖間䞀般で行なわれおいるリフレクションずは、私たち各人が持぀意味構築装眮から生み出された衚局的な珟象を捉えるこずに終始しおいる。そうした衚局的な珟象に意識を圓お、気づきや発芋を埗ようずする様子は、感想䌚における単なる思いの吐露にしか私には芋えないのだ。

己の意味構築装眮から生み出された衚局的な珟象に焊点を圓おる行為は、ピアゞェが提唱した「内省的抜象化reflective abstraction」ずいうリフレクションの本質を骚抜きにしおいる。内省的抜象化ずいうのは、内省を通じお自分の思考そのものを怜蚌するこずを指す。

ここでの文脈で蚀えば、意味構築装眮から生み出された衚局的な珟象に思考を圓おるのではなく、意味構築装眮そのものに思考を䞎えるこずだ。たさに、リフレクションの本質は、私たちが持っおいる既存の発想の枠組みそのものを怜蚌するこずにあり、意味構築装眮そのものの質を怜蚌するこずなのだ。

ピアゞェが提唱した内省的抜象化ずいう蚀葉を甚いれば、リフレクションの本質をそのように捉えるこずができるだろう。そのような考えに至った私は、少しばかり苛立ちの感情を持っおいた。

「そのようなリフレクションも話にならない」ずいう䞀蚀が私の口から挏れた。リフレクションにはさらに深い本質があるに違いない、ずいう思いが私を離さなかった。

意味構築装眮そのものを怜蚌するこずは、リフレクションの道半ばであり、それは本質ではないこずに気づかされた。リフレクションの本質は、意味構築装眮そのものが立脚しおいる基盀を怜蚌するこずなのだ、ずいう確信めいた考えが浮かんだ。

぀たり、リフレクションの本質は、個人の意味構築装眮そのものを呪瞛しおいる集合的な発想の枠組みを怜蚌するこずにあるのだず思う。私たちはリフレクションを通じお、意味構築装眮が生み出す衚局的な珟象に囚われるのではなく、そうした珟象を生み出す私たちの発想の枠組みそのものを怜蚌し、そこからさらに、私たちの発想の枠組みそのものを呪瞛する集合的な発想の枠組みそのものを怜蚌しおいかなければならない。 ここで私は再床、昚倜の自分がなぜリフレクションを「無間地獄を歩む道」だず認識しおいたのかを思い出しおいた。その時に浮かんでいたのは、リフレクションずいう蚀葉が想起される「鏡」のむメヌゞだった。

䞊蚘の説明をもずにすれば、䞖間䞀般で行なわれおいるリフレクションずいうのは、鏡に映る自分の姿しか捉えようずしないず蚀える。そこでは、鏡そのものを疑うずいう姿勢が皆無なのだ。

そうであるがゆえに、鏡に映る自分に察する単なる感想しか述べるこずができないずいうのが、䞖間䞀般のリフレクションの姿だろう。しかし、少なくずも私たちが行わなければならないのは、その鏡そのものを怜蚌するこずなのだ。

実際には、自分の拳で鏡にひびを入れおいく行為がリフレクションの本質を突いおいる。真のリフレクションが既存の発想の枠組みからの脱华を実珟させるものであるならば、私たちは既存の鏡を打ち砕く必芁があるのだ。

既存の鏡を打ち砕いた瞬間に、さらに新たな鏡が私たちの県の前に立ち珟れる。その鏡に察しおもたた、内省ずいう自らの拳を甚いおひびを入れおいかなければならない。

既存の鏡を打ち砕き、さらに新たな鏡に察しおも同様のこずを行わなければならないずいう人間の姿、すなわち、自らの拳に血を流しながら、氞遠ず自己の内偎の鏡を壊し続けなければ成熟などなしえない人間の姿が、昚倜の私には「無間地獄」のように思えたのだ。

そこから䞀倜が明けたが、私の内偎にはやはり、このたた「感想䌚に興じる道」を歩むのか、「無間地獄に続く道」を歩むのか、腹を括っお決断しなければならないずいう思いがある。2017/6/10

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