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1136. 発達測定に取り組む小学生たち


どうやら昨日は、オランダの祝日だったようだ。午前中の仕事を終えて買い物に出かけてみると、ことごとく店が閉まっていたことがそれを物語っていた。

昨日は終日、相も変わらず、専門書や論文を読んだり、論文を書いたりすることを行っていた。何か他者の文章を読む際には、それを人間発達と教育の観点に引きつけて読むことが求められると改めて思った。

そのような読み方をしなければ、記述内容が一切自分の内側に入ってこないのだ。自分を引きつけてやまない関心事項しか読むことができないというのは本当のようである。

今日の文献調査においても、自分を捉えてやまないものを読むべき対象として選び、仮にそうではないものを読む必要に迫られたら、できる限り自分の関心に引きつけた読みを心がける必要があるだろう。 友人の話によると、月曜日の今日も祝日のようだ。早朝目覚めると、人間が作為的に制定した祝日とは関係なしに、自然の世界が動いていることを実感する。

鳥の鳴き声も、駆け抜ける爽やかな風も、普段と同じままそこにある。そのようなことを思っていると、昨日の夢の内容を振り返り始めた。

昨夜の夢の中で私は、ある日本の小学校を訪問し、そこで講師を務めることになった。講演のテーマは「社会とは何か?」だった。

実は私以外にも講演者が何名かいて、訪問先が日本の小学校であったにもかかわらず、他の講演者は皆オランダ人だった。そして、そのほとんどの講師が私の知っている教授たちだった。

講演会場に到着して初めて、自分がまだ講演の内容を考えていないことに気づいた。講演のテーマが「社会とは何か?」というテーマだけに、さらには、それを小学生に向けて話す必要性から、何を話すのかがより一層難しい問題に思われた。

私よりも先に行われた講演を見ていると、それは講師からの一方的な説明に終始し、聞いている小学生たちが唖然とした姿を示しているように思えた。そこで私は、一方的な説明を避け、聴衆とのやりとりを重要視し、聴衆を話し手に変えていくという方針を固めた。

しかし、方針が固まったのはいいものの、話の中身は一切決まっていなかった。結局、話のポイントを二つ、三つ設定し、あとは即興で話を進めていくことにした。

実際に講演が始まってみると、聴衆を話し手に変えていくという方針が功を奏し、即興的な話とアクティビティが相まって、講演は熱を帯びながらうまく進行していった。中でも小学生たちが、思い思いに自らの社会像をグループで話し合っている姿は微笑ましくもあり、頼もしくもあった。

二人一組、あるいは三人一組での対話実践を終えた後、私は発達測定のエクササイズをその場で紹介した。現象が持つ深さの違いを子供達にうまく説明するのは難しかったが、彼らが納得したような表情を見せてくれたので、私は具体的にこのエクササイズのやり方を説明した。

それは簡単なものであり、各人が「社会とは何か?」というテーマについて短い文章を書き、それをグループ内で共有しながら、どの回答が社会の姿を最も深く捉えているかを議論するというものである。

そのエクササイズの進行を見守っているところで、私は夢から覚めた。この夢を通じて、やはり私たちには質的差異を見極める能力が幼少期の頃から備わっており、その能力は領域において異なるということに改めて気付かされた。

各人が持つ様々な能力は、相互に影響を与え合いながらも、決して均等に成長していくわけではない。突出した能力もあれば、欠けている能力もある。

それらを見極めながら、適切な課題と支援を与え、各人の能力を育んでいくことの大切さを私は感じていた。2017/6/5

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