早朝より、“Complexity Theory and The Philosophy of Education (2008)”の続きを読み、掲載されている論文の全てを読み通した。中でも、今朝読んでいた “From Representation to Emergence: Complexity’s challenge to the epistemology of schooling”という論文は、非常に示唆の富むものであった。
この論文をきっかけに、ジョン・デューイとジャック・デリダの教育思想の探究に着手しようと思う。この論文を読みながら改めて、知識の性質について考えることは、子供の教育のみならず、成人教育においても非常に重要であることに気づかされた。
結局のところ、知識というのは現実世界のありのままを映すような鏡ではなく、世界への関与を可能にする道具なのだ。この論文の中でも議論がなされているように、複雑性科学において、概念モデルや理論モデルを構築する際に、それは複雑な現象のありのままを映したものではないことが強調される。
この点は常に念頭においておかなければならない。どんな精緻な理論モデルも、それが現実世界を完全に映し出すことは不可能である。
それでは、それらのモデルが持つ意義はどこにあるのだろうか?そのようなことを考えてみた時に、この論文で指摘されているように、理論モデルという知識の産物が持つ世界への関与という点が重要になる。
仮に理論モデルが現実世界を不完全に映し出すものだという認識だけを持っていると、私たちが理論モデルを精緻にしていくことの真の意義が見えなくなってしまう。確かに、いかに理論モデルを精緻にしたところで、対象とする現象を完全に捉えることはできない。
しかし、私たちの理論モデルは本質的に、世界との関与を通じて磨かれていくものであるという特徴を踏まえると、構築されていく精緻な理論モデルは、世界への絶え間ない関与の証であると見て取ることができる。
この論文の中で指摘されているように、私たちに必要な新たな認識の枠組みは、知識の探究というものがそもそも現実世界のありのままを正確に理解するためにあるのではなく、世界とのより深い関与を実現するためのものであると認識することにあるだろう。
まさに、私が第二弾の書籍『成人発達理論による能力の成長』の中で紹介した、知識体系の高度化というのは、現実世界の一端を映し出す知識を獲得することに躍起になっていては実現できない。
複雑な現実世界を複雑なまま受け入れることのできる精神的強靭さを持って、世界への関与を絶えず行うことによって初めて、複雑高度な知識体系が構築されていくのだ。
そして、そうした複雑高度な知識体系が、複雑な現実世界へのさらなる関与を促すという関係がある気がしてならない。
知識と現実世界との絶え間ない相互作用によって、私たちは世界への関わり方と世界におけるあり方を絶えず検証することを迫られ、それは私たちと社会の成熟を支えていくために不可欠なことなのだと思う。2017/6/3