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1129. 不気味な満足感と大蛇


以前の日記に書き留めていたように、普段見る夢は学校生活に関するものが多い。しかも夢の舞台は、幼少時代に過ごした学校に似た場所が多いことにも気づく。

それほどまでに、私が過去受けてきた教育というのは自分の無意識に影響を与えているようだ。そして、過去の教育によって形成されたそうした無意識のある側面が、今の自分の探究活動に大きな影響を与えていることがわかる。

おそらく、私が人間発達や教育に対して強い関心を示しているのは、そうした影響によるところが大きいだろう。昨夜の夢も学校生活を彷彿させるようなものだった。

それは私が通っていた中学校がそのまま舞台となっていた。体育館で部活動に励んでいると、顧問の先生が後からやってきた。

先生は私たちの練習を静かに眺めていた。その部活の顧問は、実際に私がお世話になっていた先生だった。

私は中学時代にバスケ部の主将を務めており、今でも当時の部活動に関する夢を見ることがよくある。成人になってから見る部活動に関する夢で特徴的なのは、自分の能力の退化に関するものだ。

このテーマは、部活動に関する夢を見るときに決まって立ち現れる。端的に述べるとそれは、中学時代にあれだけ成功率の高かったシュートが夢の中では一向に入らないのだ。

あろうことかゴール下のシュートでさえ手元がおぼつかず、シュートを外してしまうことが度々起こるという有様なのだ。夢の中で私は、中学時代に自分に備わっていた感覚が消え去っていることを強く嘆く。

実はこうした感覚の喪失は、バスケに関する夢だけではなく、小学校時代に親しんでいたサッカーに関する夢の中でも現れる。とにかく夢の中の私は、当時自分に備わっていたボール感覚が自分の内側からこぼれ落ちてしまっていることを悔やみ、現在の有様に憤りを感じることが度々ある。

夢の中で私は、失われた感覚を取り戻すために様々な工夫を凝らし、さらに激しい鍛錬に励もうとする。そうした様子が昨日の夢の中にも現れた。 顧問の先生が体育館に到着してしばらくすると、私は部員全員に集合の合図をかけ、先生のところに全員を集めた。先生に挨拶を済ませたところで、部活動の前に体育館で講演をしてくれた米国人教授が体育館にやってきた。

その教授は日本語が話せず、他の部員のみならず、顧問の先生も英語を話すことができない。そのため、私がまずその教授に挨拶をした。

非常に興味深い講演をしてくれた米国人教授がせっかく私たちのところに来てくれたので、部員全員に対して彼らがその講演についてどのような感想を持ったのかを一人一人尋ねてみようとした。

しかしそれはあまりにも時間がかかるし、仮に感想が出てきたとしても、それはほぼ同じような内容の可能性が高く、たどたどしい英語が一言二言出てくるだけだと思ったので、他の部員に質問することはやめた。その代わりに、私はその顧問が英語を話することができないことを知りながらも、先生に英語で質問を投げかけた。

「講演についてどう思いましたか?」という極めて単純な質問であったにもかかわらず、顧問の先生は何も返答ができないようだった。実は、米国人教授が体育館にやってくる前に、先生は私が作った練習メニューとその進め方に難くせをつけ、それに対して私は嫌悪感を抱いていた。

そうしたこともあり、ある意味、顧問を試すかのように、英語で質問を投げかけ、さらにその顧問が自分の意見を持っているのかどうかを見極めることをしたかったのだと思う。結果は予想していた通り、その顧問は自分の無能さをさらけ出すことになった。

顧問が戸惑っている様子を確認し、私が助け舟を出したとこで、不気味な満足感が得られた。そこで夢から覚めた。 夢から覚めると、夢の中の主題についてあれこれと考えを巡らせていた。過去に備わっていたはずの感覚が喪失することと、失われた感覚を取り戻すために修練に励むことは、現在の自分の内側で行っている何かを暗示しているように思える。

また、夢の中で私が顧問に対して取った挑戦的な態度は、幼少時代から現在にかけて頻繁に見られるものであった。権威から受ける批判と権威に対する批判に付随する感情は、現在の私の心の奥底でとぐろを巻く大蛇のように存在し続けている。2017/6/3

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