午前中に読んでいた、デイヴィッド・ウィザリントンの論文の内容を忘れないうちに書き留めておきたい。ダイナミックシステム理論を発達研究に適用しようとする研究者であれば誰でも知っているのが、エスター・セレン、マーク・レヴィス、アラン・フォーゲル、ポール・ヴァン・ギアートの四名だろう。
そこに、ヴァン・ギアートの共同研究者でもあったカート・フィッシャーを加えることもできるし、ダイナミックフィールド理論を提唱したジョン・スペンサーを加えることもできる。いずれにせよ、上記の四名がダイナミックシステム理論を発達研究に適用した先駆者であることに変わりはない。
それら四名が持っているダイナミックシステム理論の捉え方と発達現象の捉え方が少しばかり異なる、あるいは全く異なるものを持っている人物がいるということに薄々気付き始めていた私は、それらの違いが何なのかに対して悶々としたものを感じながらこの一年半を過ごしていた。
四人の思想体系の違いを理解するのは一筋縄ではいかなかった。というのも、彼らが築き上げた一つ一つの体系は奥が深く、一つの体系をある程度理解することですら多くの時間を要したからである。また、一つ一つの体系を理解した後に、そこからそれらの思想体系を俯瞰的に眺め、共通点や相違点を捉えながら、一段高度な観点を構築していくことはさらに難しい作業であった。
昨年私が受講していたサスキア・クネン教授のコース「複雑性と人間発達」では、クネン教授が編集した “A Dynamic Systems Approach to Adolescent Development (2012)”というダイナミックシステム理論を発達研究に応用するための格好の手引書を課題文献の一つとしていた。
本書の中で、ポール・ヴァン・ギアートを筆頭にフローニンゲン大学の研究者が確立した「フローニンゲン学派」と呼ばれるグループの発達思想と、エスター・セレンとリンダ・スミスらが中心となって確立した「ブルーミントン学派」と呼ばれるグループの発達思想が比較されていた。
実はこの書籍を購入したのは、三年前のことであり、当時二つの発達思想の違いについて書かれた箇所を読んでも、その違いが全く理解できなかった。しかし、昨年のコースを通じてその違いが明確なものとなり、その違いについては以前の日記で書き留めていたように思う。
そこから私が直面していたのは、フローニンゲン学派とブルーミントン学派のみならず、アラン・フォーゲルやマーク・レヴィスらの発達思想とどのような違いがあるのかという問いだった。ある意味、その問いに対して方向性を与えてくれたのがウィザリントンの論文であった。
細かな説明になることを避けるため、四名の思想体系を大きな観点で比較すると、実は、フォーゲル、レヴィス、ヴァン・ギアートは同じ思想区分に属すると括ることができ、セレンのみ異なる思想区分に分類される。
両者の区分の違いは存在論的なものであり、発達段階の存在を認めるか否か、別の言い方をすれば、ピアジェの発達思想を受け入れるのか否かの違いにある。端的に述べると、セレンだけが発達段階の存在を否定している。
私はウィザリントンが論文で主張している考え方に今のところ同意しており、セレンの発達思想には一つ大きな問題がある。そもそもセレンを含め、四名の研究者が活用しているダイナミックシステム理論の根幹には、「創発」と「自己組織化」という二つの概念があり、それらは対をなしている。
つまり、ダイナミックシステム理論の根幹には、「発達とは自己組織化を通じた創発」であるという考え方があるのだ。セレンもこの考え方を採用しているのだが、そもそも「創発」というのは、新たな構造パターンが自発的に生じることを指す。
そして、新たな構造パターンは不可逆的な特徴を持っており、それがシステムの新たな要素となってシステムは絶え間ない自己組織化を通じて発達していくのである。まさに、ピアジェが提唱した「発達段階」というのは、自己組織化を通じて生まれる創発構造に他ならないのだ。
セレンは、創発や自己組織化という概念を採用しているにもかかわらず、自己組織化を通じた創発によって生まれる新たな構造パターンを否定するという事態に陥ってしまっている。システムを構成する多様な要素の相互作用によって生まれる構造パターンを蔑ろにするというのは、ダイナミックシステム理論の本質とは相容れないものなのである。
今日からウィザリントンの論文を10本ほど読むことによって、ダイナミックシステム理論と発達科学を取り巻く思想問題について自分なりの考えを醸成していきたいと思う。2017/5/29