ここ数日の夏のような気温の高まりのせいだろうか、今日冷蔵庫を開けたら、冷凍庫の氷が溶けて水滴を垂らしていた。
ここでふと、そもそも冷蔵庫は完全な閉鎖系システムであり、冷蔵庫の温度調節機能によって、中の温度が常に一定に保たれていると思っていた自分に気づいた。そこからさらに、冷蔵庫の温度調節のダイヤルを見るとこれまでと同じであったにもかかわらず、冷凍庫の氷が溶けていたのは、やはり外気の温度が上がることに一つの要因があるかもしれないと思った。
そう考えると、冷蔵庫は完全な閉鎖系システムではなく、外気の温度という外部情報と相互作用を若干行っているため、半閉鎖系システムなのだと思った。これから気温が上昇していくであろうから、冷蔵庫の温度調節ダイヤルをこれまでよりも低めに設定した。 昼食をとりながら、午前中の読書について思い返していた。今朝は、ダイナミックシステム理論と発達科学を架橋させるためのメタ理論の構築に尽力しているデイヴィッド・ウィザリントンの論文を二つほど読んでいた。
私がウィザリントンの仕事に出会ったのは、今からちょうど二年前のことだったと思う。その時に読んだ論文は “The Dynamic Systems Approach as Metaheory for Developmental Psychology (2007)”と呼ばれるものであり、その時に大きな感銘を受けたのを覚えている。
しかし、その論文を読んで以降、ウィザリントンのその他の仕事に触れることは今日まで一切なかった。日々、複雑性科学と発達科学に関する研究を進めていく中で、フローニンゲン大学の特徴からか、科学的な理論や技法について探究することが多く、そもそもそうした科学的な理論や技法の前提に横わたる思想を吟味するというようなことが少ないことに気づいていた。
つまり、私の中で、科学的な研究に思う存分に打ち込めているという充実感がある反面、科学的な研究をそもそも下支えする哲学や思想に関する探究がおろそかになっているのではないか、という反省があった。
ここで述べている哲学や思想というのは、言語哲学や意識の形而上学などのような大きな領域のものではなく、自分の研究に関する理論や手法と直結する、より小さな領域の哲学や思想のことを指す。例えば、ダイナミックシステム理論を発達科学の研究に適用する二つの異なる派閥が持つ思想上の違いなどである。
まさにこの関心が、今日の論文を読むきっかけとなった。ウィザリントンは、ダイナミックシステム理論と発達科学を架橋させることを試みてきた研究者たちの思想上の違いを明らかにし、それらを横断するようなメタ理論を提唱する探究を行っている。
それはまさに私の関心と合致しているものであったため、先週ウィザリントンの主要な論文を10本ほど印刷をした。午前中に目を通していたのは、 “How Conceptually Unified Is the Dynamic Systems Approach to the Study of Psychological Development (2011)”と “Taking Emergence Seriously: The Centrality of Circular Causality for Dynamic Systems Approaches to Development (2011)”の二つのである。
二つの論文を読みながら、やはり私も人間の発達に関して科学的な研究をしていくだけではなく、哲学的な研究を合わせて行っていく必要があると思わされた。ウィザリントンの論文は、ここ数日間読んでいたその他の専門書や、現在履修しているコースの課題論文よりも圧倒的に興味が惹かれるものであり、それは私が人間発達に関する哲学的な研究を激しく行いたいという思いを持っているからだろう。
それらの論文で考えさせられたことはまた別の機会に書き留めておきたいと思う。少なくとも言えるのは、これらの論文で指摘されている論点は、拙書『成人発達理論による能力の成長』の第三章で私がおぼろげながらに主張したいと思っていたことをさらに深く説明するものであった。2017/5/29