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1070. 春らしい一日の中の不必要な焦り


今日は少しばかり、目には見えないような精神的焦りを抱えているようだった。先日のサスキア・クネン先生とのミーティングで得られたフィードバックを元に、午前中に修士論文の手直しを行った。

その作業は非常に順調に進み、あとはいよいよ論文全体の細かな体裁を整える段階に入った。今週の水曜日や週末にそれらの作業を行えば、最終原稿のドラフトが完成することになるだろう。

一つの建築作業が一つの形として結実し、その最終成果物がまた次の建築作業の土台となることを実感している。論文を書き終え、少しばかりダイナミックシステム理論に関する専門書に目を通していた。

しかし、そこで記述されている内容が私の頭にすんなりと入っていくことはなかった。いや、記述内容を概念的な次元で理解をしていたことは確かのだが、そのような次元で何かを学ぶことが全くもって取るに足らないことのように思えたのだ。

おそらく私は、概念的な次元で何かを学ぶのではなく、自分の全存在をかけて対象と向き合いたいという思いがあり、また、それにふさわしいだけの対象を見極めていく必要があるのだと思った。

食欲もないのに食べ物を摂取するかのごとく、その書籍を計画していた箇所まで読み終えて、本を閉じた。昼食を済ませ、少し一息入れたところで、私はフローニンゲン大学のメインキャンパスに向かうことにした。

明日の講義に必要な発表資料を印刷するためである。メインキャンパスの図書館が工事を終え、内装が見違えるように綺麗になっていた。

図書館の入り口の左手に、大学の名前と絵画的な模様が刻まれた石碑が壁にかかっているのを見つけた。私はそれをぼんやりと眺めていた。

現代的になった図書館の設備とその石碑は対照をなしているように思えた。私が足を止めて眺めていたのは後者だった。

無事に目的の印刷を終えた私は、その足で行きつけのチーズ屋に立ち寄った。いつもは店長の年配女性と雑談を少しばかりするのだが、今日の私は何かに対して急いでいた。

雑談をしないまま、私は店を後にし、春を迎えたフローニンゲンの街を足早に歩いていた。道行く人たちの中には、半袖の人が多く見かけられた。今日はそれぐらい暖かい。

しかし、私は秋用のジャケットを羽織りながら街を歩いていた。目に入る人も景色も、そしてそれらを眺めている自分さえも、あまり実体を持たないもののように映った。

自宅に帰る道すがら、一瞬たりとも読むことと書くことから離れたくはないと思っている自分が可笑しくなった。日常の全てを、読むことと書くことを通じて考えることに充てたいというある種の衝動が、今日の不必要な焦りを生み出しているようだった。

歩きながら思ったのは、このように歩きながらでも読むことや書くことの続きを行うことは十分可能であり、何より考えることは何をしている時でも四六時中できることだろう、と自分をたしなめるような考えが浮かんだ。まさにその通りだと思う。

自宅に帰り、性懲りも無く、午前中に閉じた専門書を読み進めた。午前中よりは幾分ましになったが、それでも自分の根底から何かを掴んでいくような対象ではないように思われた。

この書籍を閉じ、辻先生と森先生の執筆した書籍を代わる代わる読み始めた。これらの書籍のほうが、ダイナミックシステム理論の専門書よりもはるかに人間の動的な本質を捉えているように私には思えた。

そして、その歴然とした差を生むものの正体を、私はもう掴み始めている。二人の書籍を片手にコーヒーを飲んでいた。

しかし、今日はコーヒーを飲む速度が普段よりもゆっくりだった。先ほどの精神的な焦りとは対比をなしているように思えた。

長い間それらの書籍を読み、夕食の時間を迎えた。私は、いつもより意識的にゆったりと入浴をした。

私にとって、浴槽にゆっくりと浸ることは、不必要な精神的焦りを沈め、再び自分を取り戻しながら仕事に取り組むために不可欠なものだと改めて知る。2017/5/15

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