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1047. 有限なものの価値と真の無限性に向かって


:「先生、おはようございます。」 クネン先生:「おはよう。どうぞ、中に入って。」 これは、論文アドバイザーのサスキア・クネン先生とミーティングがある時にいつも最初に交わされる言葉のやり取りだ。このやり取りは、とてもありふれたものなのだが、この言葉の交換を先生とするのもあとわずかとなった。

人間とは不思議なもので、有限なものが持つ有限性に真に気づくとき、初めてその尊さや価値に気づく。同時に、私たちは不思議なもので、有限なものが有限であるということに気づかないまま日常を送ることを余儀なくされている。

この世界において、金融資産を含め、金銭に置き換えられる量的なものを無限に拡大させていくことを追い求めるような風潮が絶えず私たちの身にまとわりつこうとする。私たちは、そうした偽りの無限性を追い求めるのではなく、有限なものが持つ尊い有限性に常に自覚的になりながら生きることはできないのだろうか。

また、有限な存在に対する尊重の念を持って、真に無限なもの、真に永遠なるものに向かいながら生きることはできないのだろうか。それは夢物語であると言われるかもしれない。

だが、私は今日のミーティングでのクネン先生との何気ないやり取りの中に、有限なものが持つ有限性の価値と、それが真に無限なる存在に向かっていく道を見たような気がした。 今日のミーティングは、いつもと同じように、いや、いつも以上に議論が盛り上がった。普段は先生にワードで論文の原稿を送り、それに対してコメントをいただくという形式を取っている。

今回は、ユトレヒト大学への先生の出張に合わせて論文の原稿を送ったため、先生はパソコン上ではなく、プリントアウトした論文に直接コメントを記入してくれていた。それを見たとき、私は肉筆の重みを改めて感じた。

人間が手で書く文字には何かが宿る。その気づきは、歴然とした直接経験からもたらされたものであった。

特に、プリントアウトした論文の裏面3ページを使って、先生が今後の私のさらなる研究に向けてのアイデアを図と文章を用いながら書き残してくれたものを見て、肉筆は何かを宿すのだと実感した。 クネン先生:「洋平、それはユトレヒト行きの列車の中で知的好奇心に任せて筆を走らせたものよ。なので、今後の参考程度にしてもらえたらと思うわ(笑)」 その言葉を聞きながら、私は先生が書き留めた図と文章を食い入るように眺めていた。 :「こ、これは面白い!このアイデアをもとにして論文を一つ、そして、こっちのアイデアをもとにして論文をもう一つ、さらに、僕が考えていたアイデアをもとにもう一本論文が書けそうですね。」 先生と私はその後しばらくの間、もうすぐ終わりを迎える修士論文から派生させた、近い将来に取り掛かりたい研究アイデアの話で盛り上がっていた。フローニンゲンに滞在する残りの二年間において、クネン先生と共同論文をできる限り執筆することができたらと思う。

私がこの土地にいることは有限であり、クネン先生と私の寿命も有限だ。だが、二人が残す仕事は、必ず無限性を帯びるのだ。

これこそが、人間がなす仕事の本質だと思う。2017/5/9

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