目を見開かされるほどに、新緑の木々がそよ風に揺れながら輝いている。今日の午前中は曇り空が続いており、今日も先週のような晴れ間のほとんどない天気になるのかと思っていた。
ところが、正午から一気に晴れ間が広がり始めた。厳密に日数を数えていたわけではないのだが、このような晴れ間を見たのは久しぶりのように感じた。
春の太陽光によって視界が開かれ、書斎の窓から見える景色もこれまでと全く違うものに見えた。その一つが、青々と茂り始めた新緑の木々であった。
それが春の午後のそよ風に優しく揺られる姿は、私の心を落ち着かせるには十分であった。太陽光が木々の葉に当たる様子を見ていると、その暖かさがこちらにまで伝わってくるかのようであった。
一階の住人には専用のバルコニーがあり、その住人が友人を招いて飲み食いをしながら談笑しているのが聞こえてくる。今日はとても陽気な土曜日だ。 私は景色を眺めながら、少しばかり午前中に考えていたことの続きを考えていた。一つの季節が終わりを告げ、新たな季節に入っていく実感を得てみると、それは人生にも何か通じるものがあるように思った。
人生の一つのフェーズは明確な終わりを告げることなく、それは次のフェーズにすでに流れ込んでいる。流れて組み込まれていくという循環が、私たちの人生の中にはあるようだ。 そのような気づきをふともたらしたのは、午前中に読んでいたジャン・ピアジェの“Structuralism (1968)”という書籍だった。本書を読みながら、ピアジェはやはり発達心理学者などではなく、全くもって哲学者であったことに気づかされる。
ピアジェが非常に優れた認識論者であったことが、本書から伺い知ることができる。特に、私の中で最も重要なテーマの一つである、知識の構造と体系化について、本書は多くのことを私に気づかせてくれる。
全七章のうち、今日は書き込みをしながらゆっくりと三章まで読み進めた。本書の中でピアジェは、クロード・レヴィ=ストロース、ミシェル・フーコー、タルコット・パーソンズ、ノーム・チョムスキーらの構造主義思想を批判的に検証しながら、新たな構造主義を切り開くことを試みている。
言語と思考の関係性、知識体系の構造的発達の探究に生涯を捧げたピアジェの思いの一端が、本書を通じて私の内側に響いてくるかのようである。それは、目の前の新緑の木々が、そよ風に揺られて奏でる響きのようであった。2017/5/6