午前中に二冊の書籍を読み、昼食の前後に仕事関連のメールの返信をした。その後、明日の講義の発表に備えて資料を印刷するために、フローニンゲン大学の図書館に足を運んだ。
五月最初の月曜日は、快晴に恵まれた。早朝は気温が低かったが、午後からは気温が上がり、キャンパスに向かう道中のノーダープラントソン公園を歩くのは清々しかった。
明日の講義は早朝に行われ、その前に印刷ができれば理想的だったのだが、図書館の開始時間の都合上、本日中に資料を印刷しておく必要があった。講義があるわけでもないのにキャンパスを訪れるのは少し面倒ではあったが、春の息吹を感じながら散歩できたことは喜ばしいことだった。
また、その他にも大学を訪れてよかったことがある。米国のジョン・エフ・ケネディ大学に留学していた時に、大学の図書館に古書コーナーがあり、1冊あたり1ドルで購入できる仕組みがあった。
古書の中から掘り出し物の良書を見つけて購入することは、当時の私の一つの楽しみであった。実は、フローニンゲン大学の図書館にも似た様な仕組みがある。
1冊あたり1ユーロで購入できる場所があり、図書館以外には、社会学研究棟の一階に教授陣が寄付をした書籍があり、それは無料で持ち帰ることができる。今日は図書館に行くついでに社会学研究棟の一階を通った。
すると、そこに一冊の興味深い本が置かれていることに気づいた。書籍全体が古ぼけており、中には多数の書き込みが乱雑な文字でなされ、下線の引き方も幾分乱暴であった。しかし、それらを差し置いて、非常に興味深い中身の本だとすぐにわかった。
それは、 “Selected Readings on The Learning Process (1961)”というタイトルの書籍だった。まさに、フローニンゲン大学で私が研究しているのは、発達のプロセスであり、学習のプロセスに他ならない。
タイトルを見た瞬間、これは中身を吟味するべき書籍だとすぐにわかった。目次を眺めてみると、各項目にはそれぞれ興味深いタイトルが並んでいた。
しばらくその場で立ち読みをしながら、持ち帰るべき書籍なのかをもう少し吟味することにした。この書籍は、学習プロセスを探究する様々な発達心理学者や教育学者の論文が集められたものである。
著者の名前を確認していると、カート・レヴィンとジャン・ピアジェの名前を見つけ、これは持ち帰るべき本だと確信した。レヴィンについては、一昨年東京に滞在していた頃から彼の全集を読み始め、英語で読める書籍は全て手に入れ、彼の理論を理解することに努めていた時期がある。
依然としてその仕事は続いており、また折を見てレヴィンの功績を見返そうと思っていた。また、ピアジェに関しても、街の中心部にある古書店でピアジェの “Structuralism (1968)” を見つけて以降、再びピアジェへの関心が高まるばかりであった。
こうしたこともあり、本書は今の自分が所持しておくべき本だと判断した。今から60年近くも前に出版された書籍をこのような形で入手することができた偶然に感謝したい。
書籍の最初のページを開くと、そこには住所と電話番号が明記された「Harvard Book Stores」と記されたシールが貼られていた。きっとこの書籍は、世界のどこかの誰かがハーバード大学書店で購入したものなのだろう。
その人も、今の私と同じような気持ちでこの本を手に取ったのだろうか。書籍というのは実に不思議なものであり、それは単なる物ではなく、これ以上ないほどに精神的なものが宿ったものなのだと思う。そうではないだろうか。2017/5/1