「逆説的な事柄は、哲学にとっての原動力である」というドゥルーズの言葉が印象に残っている。これは、哲学という思想体系を構築するという営みだけではなく、人間の発達においても等しく当てはまることだと思う。
逆説的な事柄は、発達の原動力であることは間違いない。それは単純に、弁証法的な意味でのそれではない。
自分の内側の要素に対して、その性質に反するような要素が外側から内側に混入し、異質なものを統合することによって発達が促されていくというのは単純過ぎる発想に思える。そうした形式的な弁証法過程ではなく、自己の外側から異質なものが入り込むことをせずとも、私たちの自己は絶えず自分の内側に異質なものを生み出し続けているのだ。
つまり、私たちの内側には、常に相反するような現象で満たされているのだ。それらは思念や感覚という形となって私たちに知覚される。
それらの逆説的・相反的なものが衝突し合い、その結果として、私たちの内側の現象は深まっていくのだと思う。発達心理学者のハインツ・ワーナーが指摘する、「差異化と統合化は同時に起こる」というのはそういうことだったのだ。
私たちの内側には、絶えず異質なものを生み出す作用があるのと同時に、既存のものとそれらの異質なものを統合させる運動が絶えず起こっているようなのだ。そのようなことに考えを巡らせていた。 早朝にドゥルーズの書籍を一章読んだ後、軽めの朝食を摂った。朝食に関して、これまで無自覚に行っていたことを今日から明確化したいと思う。
これまでは六時に起床することが多く、その場合には朝食は果物しか摂らないようにしていた。しかし、それよりも一時間早い五時に起床する場合には、果物だけだと、正午の昼食までにどうしてもお腹が空いてしまう。
そのため、五時に起床した場合には、十時半にパンを食べるという規則を設けることにした。これまでも五時に起床した際には、無自覚的にパンを食べることがあったのだが、今日からはそれを自覚的なものにしたい。
ちょうど二枚のパンにココナッツオイルを塗って食べるという行為を五時に起床した場合にのみ実行したい。パンを食べた後、正午に向けて、 “Nonlinear time series analysis (2004)”を三章ほど読み進めた。
これは非線形ダイナミクスに関する専門書であり、平易な英語で書かれていながらも、当該分野の知識が依然として不足している私にとっては非常に難解な箇所が多い。本書を読みながら、応用数学が私の探究にもたらす意味について改めて考えていた。
確かに、私はフローニンゲン大学での現在の研究に対して応用数学の手法を活用しているが、私にとっては非線形ダイナミクスやダイナミックシステムアプローチに関する数学的な概念のそれぞれが、人間の発達を理解するための一つの概念装置として機能していることにより大きな意味があると思った。
これは哲学や音楽を通じて人間を探究する際にも等しく当てはまることだと思う。哲学言語や音楽言語、そして数学言語は、私にとって人間発達に関する自分の言語体系を変容させる役割を果たしてるのだ。
それらは異なる言語体系であるがゆえに、自ずとそれらが開示する意味世界は異なる。あるいは、それらは究極的には同一の意味を開示するのだが、その開示のさせ方が全く異なると言った方が正確かもしれない。
結局のところ、経営学だけを通じて経営など全く理解できないのと同様に、心理学だけを通じて人間心理を理解することなど到底不可能なのだ。そうした気づきが、私を哲学、数学、音楽に向かわせたのだとふと思った。2017/5/1