何事も小さなことから始め、それを継続させていくことがいかに大切かを知る。今日は昼食後から、修士論文の手直しを行った。
“Discussion”のセクションにおいて、教師と学習者の発話行動上の発見事項と発話構造上の発見事項を統合させる箇所を執筆し終えた。今日は気付かない間に、日本語の日記を10,000字ほど書き残していたのに対し、同じ時間をかけて英語の論文で執筆できたのは400字ほどであった。
どちらも共に内側にあるものを形として表現したことに変わりはないが、前者はより流動的な生成であり、後者はより建築的な生成であったように思う。日記を書き残す時には、流れるように自分の言葉を外に出していくことに充実感を覚えるが、論文執筆の際には、一つ一つの言葉を厳密に選び、それらを緻密に建築していく際に固有の充実感を覚える。
この二つの充実感は、今の私の日々の生活に欠かすことのできないものである。今回の論文執筆を通じて改めて考えさせられたのは、小さなことから着手し、それを積み重ねていくことの価値と尊さであった。
今回の修士論文は、字数にして10,000字、ページ数にして40ページを上限とする小さなものだ。しかし、大きな作品をいきなり生み出そうとするのではなく、小さな作品から手掛けていくこと以上の王道はないだろう。
今回の論文執筆を通じて、自分を惹きつけてやまないテーマに対して小さな研究を行い、それを簡潔にまとめた論文を継続的に執筆していくことを行いたい、と気持ちを新たにした。こうした創作過程は、論文執筆のみならず、芸術作品の創作でも同じなのだと思う。
実は嬉しい知らせとして、来週の火曜日から二日間にわたってフローニンゲンで行われる、ダイナミックシステムアプローチに関するワークショップに私が敬愛するポール・ヴァン・ギアート教授が参加するそうなのだ。
ヴァン・ギアート教授は、カート・フィッシャーの良き共同研究者であり、二人は数多くの優れた共同論文を残している。以前に紹介したように、私はフィッシャー先生からヴァン・ギアート教授を紹介してもらい、ヴァン・ギアート教授に今の論文アドバイザーであるサスキア・クネン教授を紹介してもらったのだ。
ヴァン・ギアート教授の仕事に最初に出会ったのは、私がニューヨークに在住していた頃なので、今から四年前のことになる。それ以降、ヴァン・ギアート教授が執筆した論文と書籍をほぼ全て読んできたように思う。
残念ながら、私がフローニンゲン大学にやってくる二年前に、ヴァン・ギアート教授は公式的に大学から引退をしていた。しかし、今回のワークショップに顔を出していただけるというのは私にとって大変嬉しい知らせであった。
実際のところ、私はヴァン・ギアート教授の学術的な功績のみならず、彼がプロ並みの画家であることに対しても尊敬の念を抱いている。ヴァン・ギアート教授はフィッシャー先生と同様に、研究者としての生涯において300本を超える論文を執筆してきた。
絶え間ない論文執筆と並行して絵画を描き続け、絵画に関しても卓越した作品を残していることは、学術研究と並行して作曲活動を始めた今の私にとって大変励みになる。火曜日と水曜日にわたってヴァン・ギアート教授と交流することを通じて、学術研究と作曲に関してまた何らかの刺激を得ることになるだろう。
二つの探究領域において、小さな作品を数多くじっくりと作っていきたいと気持ちを新たにした。2017/4/29