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982. 書斎から見える景色から


今朝の最低気温はマイナス一度であり、これが五月を迎えるフローニンゲンの姿のようだ。最近の天候もいまいち冴えず、ぐずついた天気が続いている。

今朝も例外ではなく、晴れ間を覗かせたり、雨が断続的に降ったりと、天気の変化が著しい。幸いにも、数十分ほど前の激しい雨が止み、今は晴れ間が広がっている。

フローニンゲンの天候が持つ、変化に富む表情はなかなか素敵だ。感情の波が激しい人と付き合っているかのごとく、表情を無数に変える天候から私は多くのことを学んでいるように思う。

午前中のクラスの帰り道に、みぞれ混じりの雨が突然降り始めた。私はすぐに持参した折り畳み傘を開き、硬い雨粒が傘にぶつかる音にしばらく耳を傾けていた。

確かに、雨が降ることは何かと煩わしいのだが、みぞれ混じりの雨が地上に降り注ぐ姿をぼんやりと眺めていると、太陽の光にはない光が地上に差し込んでいるように思えた。燦々と輝く太陽だけではなく、しとしとと降り注ぐ雨からも、私はもっと多くのことを感じ、より多くのことを学べるような気がした。

雨が私の意識や感覚にもたらす不思議な作用に気づいたのは、しばらく前のことだった。そのため、私は雨から学ぶ道をようやく歩み始めたにすぎない。 それにしても、オランダに来てからの毎日の生活の中で、静かに、そして絶えず変化する天候から多くの気づきと励ましを私は与えてもらっている。今この瞬間も、書斎の窓から見える雲と空を眺めている。

書斎の窓から景色を眺めるときにはいつも、何かしらの気づきや新たな感覚を得ることができる。これはとても不思議な現象のように思える。

外界の景色の小さな移り変わりは、内側の景色の小さな移り変わりをそっくりそのまま映し出しているようにさえ思える。移り変わる景色の機微を捉えることが、内側の景色の機微を捉えることにつながるのだ。

私は毎日毎日、書斎の開放的な窓から見える景色を絶えず見つめ、逆に、景色から見守られているのを確かに感じている。今目の前に広がる雲の大群とそれらの雲を照らす太陽の輝き、そして雲の合間から顔を覗かせる青空は、二度と同じ表情を見せない。

私はその場で立ち止まり、そうした一回限りの現象とゆっくり向き合うようになった。この世界の全てが、こうした一回限りの現象で織り成され、それらが絶えず一つの大きな流れを生み出していることは、とても驚異的なことのように思える。

もうしばらく、書斎から見える景色をぼんやりと眺めたい。2017/4/25

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