ついに修士論文がほぼ完成した。提出期限まで残り二ヶ月ほどあり、この段階でほぼ全ての項目を完成させることができて嬉しく思う。
思えば、ここまで辿り着くのに非常に多くの紆余曲折があった。それは第二弾の書籍の執筆以上であったと言ってもいいかもしれない。
米国の大学院に留学していた時を含め、私にとって修士論文を書くのは今回が二回目であったが、一つの学術論文を執筆するというのは苦労が伴いながらも、実に多くのことを学ばせてくれるものだと改めて思う。
今回の論文を完成させるために、一体どれほどの論文や専門書を読んだだろうか。もはやそれらの数を数えるのが馬鹿らしいほどに、数多くの文献に目を通していたように思う。
そうした文献を読む中で、様々なことを考えては文章に落とし込み、あるいは実際に手を動かしながらプログラミングコードを書いたり、コンピュターシミレーションを行ったりした。それらの試みのうち、実際の論文に盛り込まれることになったのは微々たるものである。
大多数は論文の中に組み込まれることなく、私の研究ノートの中だけに留まっているか、もしくは文章にする前段階でボツになっている。これが研究の実際の姿なのだと思う。
私は今回の研究を通じて、ダイナミックシステムアプローチや非線形性ダイナミクスの諸々の手法を深く学んだだけではなく、再度カート・フィッシャーのダイナミックスキル理論を学び直したように思う。
500個近い発話データに対して、フィッシャーのダイナミックスキル理論を適用して定量化するというのは、かなり大掛かりな試みであった。実際のデータに対してダイナミックスキル理論を適用することによって、発話構造の分析に関する新たな観点が獲得され、分析のスキルがさらに向上したように思える。
その他にも挙げれば切りがないのだが、やはり学術研究を通じて、人間発達に関する自分の知識や、発達現象を分析する手法に関するスキルが飛躍的に向上するのは間違いないようである。これが研究という実践を通じた、研究者としての私の成長なのだろう。
自分の書籍を世に送り出すのと同様に、一つの論文を誕生させるには産みの苦しみが伴う。しかしながら、そうした苦しみなど一切感じさせない喜びが、今回の研究過程の中に絶えず存在していた。
一つの書籍を書き終えた瞬間に、また次の書籍を執筆したくなるのと同じように、今回の論文がひと段落した瞬間に、また次の論文を執筆したくなった。もう創造に関する欲求を抑える必要も我慢する必要もないのである。
できることなら、創造欲求の中に自分の全てを投げ入れたい。実際には、もはや私は創造欲求の中に溶け出していると言っていいかもしれない。
その証拠に、もう次の研究について取り掛かり始めているからだ。次の研究は、MOOCを活用した成人学習を探究するものであり、さらにはベートーヴェンのピアノソナタの非線形的発達過程を探究するものである。
前者については、フローニンゲン大学のMOOCを統括する教授に研究のアイデアを持ちかけ、後者についても研究アイデアの醸成と参考文献の調査を開始した。両者の研究を通じて、私は何を学ぶのだろうか。
研究者として、そして一人の人間としてどのような発達を経験するのだろうか。そして、それらの研究の後に、どのような新しい研究が待っているのだろうか。
それらに対する期待が膨らむ一方で、そうした期待以上に、学び続けることと研究し続けることの中で毎日を過ごせることが何より幸せだ。2017/4/19