昨日、「創造性と組織のイノベーション」の最終試験を終えて自宅に帰ってくると、すぐさまコーヒーを入れて、少しばかりくつろいでいた。オーストリア旅行から帰ってきて、書斎のソファの一角に座れるスペースを設けて正解だったと思う。
その場所に座りながら、私は横山大観の画集に目を通していた。大観という日本画の巨匠も、この世界に自己の内面を表現することを宿命づけられた人間だったのだということをひしひしと感じていた。
画集を眺めながら、技術的な画法の進化のみならず、大観という一人の芸術家の内面的な成熟過程を見て取ることができた。それは微細な形で静かに進行していくものであり、それが如実に作品に現れているかというとそうではない。
描かれている対象だけを肉体の眼を通して眺めていては、それらの変化は見逃されてしまうのだ。しかし、その作品が生み出す意味を自分なりに汲み出そうとするとき、その作品が取り扱っている意味の深さが顔を覗かせるのだ。
私はソファに腰掛けながら、しばらく大観の作品から意味を汲み取ることを静かに行っていた。そのような休憩を少しばかりとった後、私は再び机に向かった。
幸運にも、「複雑性とタレントディベロップメント」のコースで執筆した共同論文に対して、担当教授から非常に高い評価を得ることができた。これまで履修したコースの中では最も高い評価であった。
しかし、担当教授からさらに提案があり、このままその論文を最終成績とみなすことも可能だが、さらに修正・加筆を加えることも可能だという連絡を受けた。この共同論文は、インドネシア人のタタと共に執筆しているものであり、タタと私は教授からの申し出を有り難く受け取り、少しばかり修正を施すことにした。
担当教授からのフィードバックをもとに、これから修正をしていきたいと思う。教授から指摘を受けた箇所はそれほど多くなく、修正の作業にそれほど多くの時間を費やすことはないだろうと予想される。
また、私よりも一足早く今学期の試験を全て終えていたタタがすでにいくつか修正をしてくれたので、あとは私の方で少しばかり修正・加筆を加えればよいことになった。最終学期が始まる前に、何とかこちらの論文を完成させ、最終原稿を教授に提出したいと思う。 昨日は、夕方から就寝直前まで、自分の研究に没入していた。できるだけ就寝前の一時間は仕事から離れたいと思っているのだが、昨日はそれができなかった。
というのも、研究データを分析するためにRというプログラミング言語を活用しており、プログラミングコードを書くことに熱中していたためである。つまり昨夜は、論文を読んだり書いたりすることに没頭していたのではなく、プログラミングコードを書くことに没頭していたのである。
幸いにも、R上で行いたい作業を実行するためのコードの大部分を書き上げることができた。あと数箇所コードを書き足せば、今回の研究で必要となるデータ処理を全て完了させることができるだろう。
音楽という普遍語が持つ質感とは異なるものを、プログラミング言語が持っていることは興味深い。昨日、私を没頭の渦に巻き込んだのは、まさにプログラミング言語が持つ不思議な質感だったのだと思う。
今日の午前中のうちに、残り数箇所のコードを書き上げたい。本日の残りの時間は、英語、音楽、Rという三つの言語が多くを占めることになるだろう。2017/4/14