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924.【ザルツブルグ訪問記】偉大な創造者たちから受け継いだこと


今、ザルツブルグからウィーン国際空港に向かう列車の中でこの日記を書いている。列車の中で先ほどまで、「創造性と組織のイノベーション」のコースの最終試験に向けて課題論文のいくつかをもう一度読み返していた。

今回のオーストリアの旅の形式上の目的は、非線形ダイナミクスに関する学会に参加することであった。しかし、よくよく考えてみると、今回の旅の背後には、人間が発揮する創造性について考えを深める豊富な機会が散りばめられていたように思う。

そうした機会は、ウィーンとザルツブルグで訪れた数多くの博物館や美術館によってもたらされたものである。特に、偉大な音楽家の記念館や博物館に足を運び、実際に自分の肉眼と心眼で彼らの創造性の根源とそれを育んだものを捉えることができたことは、私にとって非常に大きなことであった。

それらの体験は間違いなく、創造性に対するこれまでの私の考え方をより深めてくれたと言える。やはり、私は内側の思念や感覚を外側に形として表現することを絶えず行っていかなければならない。

それもこれまでとは次元の異なる量を持ってしてそれを行いたいのだ。今朝方、宿泊先のホテルからザルツブルグの中央駅に向かう最中、ある横断歩道で信号待ちのため一時停止した。

大通りを走る無数の車の騒音が耳に入らないほど、自分の内側の世界の中で私は考え事をしていた。それは、この世界に何かを創造することについてであった。

「内側の世界の現象を絶えず外側の世界に形として表現し続けなければならない」という巨大な思いが私を包んでいた。重要なことは、内側のものを外側に表現することが「ねばならない」ということであって、それは義務感ではなく、義務感を超越し、内発的な動機すらも超越するものであるということだった。

私は決して、内側のものを外側の世界に表現「したい」のではない。そうした思いに基づいて何かを表現することは、もはや過去のものとなった。

義務感を超越し、内発動機すらも超越した形で絶えず内側のものを外側に表現し続けることが何よりも重要なのだ。横断歩道が赤信号から青信号に変わった時、創造性を司る私の内側のエネルギーは、もはや何者も止めることができないぐらいに外側に流出しようとする動きを見せていた。

今回の旅を通じて出会った偉大な創造者たちは、「義務感に基づいて創造的な活動に従事することほど馬鹿げたことはなく、単純な内発動機だけに基づいて創造的な活動に従事することほど陳腐なことはない」と私に訴えかけてきた。

彼ら偉大な創造者は、「何かを創造しなければならない」「何かを創造したい」という思いすらも超越する形で日々の創造活動に営んでいたのだ。ウィーンへ向かう列車の車窓から、のどかな田園風景が見える。

目に映る植物や生き物たちが意志を超えて生まれ出てきたように、内側のものを意志を超えて外側に形として生み出し続けていかなければならない。この思いに至らしめるために、それらの偉大な創造者たちはウィーンとザルツブルグに私を運ばせたのだ。

彼らの意志と創造エネルギーをごくわずかでも伝承した者として、私は絶えず創造活動に営む決意を新たにした。2017/4/10

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