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917.【ザルツブルグ訪問記】ザルツァハ川の橋の上で:文化的体験の意味と意義


ザルツブルグに到着してからの二日目の朝。今朝は、とても良い目覚めであった。

疲労感なども特になく、今日からの学会に集中して参加できそうな心身状態だ。今回の旅行の過程で、自分の中で考えを深めておきたいテーマがあれこれと湧き上がっている。

それら一つ一つとゆっくりと向き合いたいのだが、旅行中はどうしても時間を取ることができない。そのため、旅から帰ってきた後に、自分のノートやメモなどを見返しながら、書くことを通じて考えを深めていきたい、ということを今書き残しておきたいと思う。

もはや、書くことなしに考えを深めることなどできないという思いに私は絶えず満たされている。書きながら考え、考えながら書くという生き方を貫いていきたい。

今日は、早朝から小雨が降っている。ザルツブルグでの宿泊先は、大通りに面しているにもかかわらず、ウィーンの宿泊先に比べて静かだ。

昨日思わず笑いがこみ上げてきたのだが、今の宿泊先のホテルの廊下には、この街が生んだ巨匠ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト の肖像画や写真が多く飾られている。さらには、私の部屋の壁にもモーツァルトが小さく微笑む大きな肖像画が飾られている。

起床直後、ベッドから起き上がって電気をつけたらモーツァルトがそこにいた、ということに可笑しくなってしまったのだ。この街にとって、それほどまでにモーツァルトは大切な人物なのだろう。 昨日、ザルツブルグの街を横切る大きな運河であるザルツァハ川の上を架ける橋を渡ったとき、人間の発達において私が見落としていたある重要なことに気づいた。それは文化的な体験というものであった。

モーツァルトが幼少時代から音楽旅行と称して欧州各地を旅していたことは有名な話である。モーツァルト自身が語るように、欧州各地を旅することによって得られた文化的体験が、彼の演奏技術を高めることにつながっただけではなく、創出する音楽の質を絶えず深めていったのだと思う。

私はこれまで、文化的体験というものが、探究活動をより豊穣なものにすることを見逃していたように思う。探究活動を深めていく過程で、人は往々にして内面の成熟を遂げていくことになるが、その時に文化的体験というのは人格を陶冶する上でも大きな意味を持つ。

文化的体験が内面性を深めていくことは、何も目新しいことではなく、よく耳にする話である。しかし、ザルツァハ川の上を架ける橋を渡った瞬間に掴み取ったのは、文化的体験というものが、自分の内側の成熟にとって極めて重要なのだという自覚だった。

つまりこれまでは、文化的体験というものが人間の発達において大きな鍵を握ることを頭で理解していながらも、それが自分の実際の経験と結びつくことはなかったということである。私はザルツァハ川の橋の上で立ち止まり、アルプス山脈を背景にして流れる運河をぼんやりと眺めていた。

すると私の意識は、三年前に住んでいたカリフォルニアのアーバインの記憶に飛んでいた。雲ひとつない燦然と輝く太陽のもと、カリフォルニア大学アーバイン校の図書館に向かって歩いている自分の姿が思い出された。

その時もたわいのないことを考えながら歩いていたのを記憶している。最も印象に残っているのは、大学図書館に向かいながらふと、宇宙旅行に出かけてみたいと思ったことだった。

図書館に到着後、宇宙旅行の可能性について調べていると、民間人でも宇宙旅行が可能であることがわかったのだ。ただし、その費用は日本円にして数千万円ほどであり、宇宙空間に数分間だけ留まってシャトルの窓から景色を眺めるというものだった。

地球を離れて宇宙に滞在できる時間がごくわずかであり、なおかつ旅費が高額だ。私は即座に、そうした条件であれば、自分一人では宇宙旅行に出かけることはないだろうと思った。

だが、仮に自分に子供がいて、自分の子供が宇宙旅行に出かけたいと言ったら、話は全く別だと思ったのだ。そのように思わせたのは、私の両親が自分に対して提供してくれた数々の文化的体験だった。

私が幼少の頃から、両親は連休や長期的な休みの際には、私を連れて日本各地を旅行することを習慣にしていた。幼少ながらも、その時の旅の記憶というのは断片的に残っている。

東京に住んでいた時は、東京から行ける範囲の県を色々と旅をし、山口県に引っ越してからは、四国・中国・九州地方を旅して回った記憶が鮮明に残っている。今でも一つ忘れられない思い出として残っているが、小学校四年生の時、連休を活用して九州のとある県を訪れたことだ。

何が最も印象に残っているのかというと、父の連休と私の学校が始まる日が合わず、学校を休む形で私は旅行することになったことである。なぜだか、私が学校を休んで旅行に出かけたことが担任の先生に知られてしまい、学校に戻ってきた初日に私は一人居残りをさせられて、休んだ日の課題が終わるまで帰ることを許されなかったことを強く覚えている。

当時の私は学校がとても好きであり、旅行を理由に学校を休みたくなかったし、なぜ自分が居残って勉強をさせられなければならないのかも理不尽に思っていた。今となっては、居残りに付き合い、休んだ分の課題を一対一で見てくれていた担任の先生の熱意には感謝しなければならないだろう。

私が学校の先生であれば、果たしてそのような親身な教育ができるだろうか、と考えさせられる。その時の私は、居残りを命じた先生に対して、怒りを表すような態度を静かに取っており、家に戻ってからも、学校を休ませて旅に連れて行った両親に対しても同じような態度を示した。

この件があってから、両親は二度と学校を休ませて私を旅に連れて行くことはなくなった。だが、学校を休ませてでも、子供を連れて旅をし、子供に文化的体験を積ませるという両親の姿勢には、今となってはとても共感ができる。

もし私に子供がいたら、一日と言わず、一週間、あるいは一ヶ月ぐらい学校を休ませてでも旅に連れて行く可能性があると思ったのだ。旅の経験は、長大な時間を経た後に、その経験が持つ真の意味がいつか何かのきっかけで開かれる。

旅が持つ真の意味は、短期的にはすぐに姿を現さない。それは、長い年月をかけた後に、ふとした瞬間に現れるものなのだ。

両親が連れて行ってくれた旅の経験は、数十年の歳月を経て、それらが私にもたらす真の意味が今になってようやく開かれつつある、という確かな実感が今の私にはある。あの頃の旅の経験がなければ、今の私はないだろう。

旅を通じた文化的体験というのは、長大な時間にさらされることを通じて、それが持つ真の意味が開かれ、人間の発達に多大な影響を及ぼすのだと思わされた。旅の持つ意味や意義については、今後も考えていかなければならないだろう。

それほどまでに旅がもたらす体験や経験というのは奥が深いのだ。2017/4/6

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