いよいよ出発の日がやってきた。オーストリアへ一週間ほど滞在する小旅行の出発の日がついにやってきた。
旅をする日というのは、幾つになってもどこか私の心を踊らせるような働きを持っている。実際に、昨夜も夜中の三時あたりに一度目を覚ましてしまった。
結局今日は、予定よりも少しばかり早い時間に起床することになったのだ。こうしたことからも、私がこの旅に対して期待感を抱いていることがわかる。
そうした気持ちを顕在意識の中で隠すことはできても、無意識の中で隠すことはできなかったようだ。それが今朝の目覚めに現れている。
起床直後、出発直前に最後の日記を書き留めておこうと思い、書斎の机の前に座った。出発当日の朝はとても静かだ。
普段通りに、書斎の窓から見える外の世界から、小鳥の鳴き声が私の耳に届けられる。朝日を待つ早朝の闇、あたりの静けさ、小鳥の鳴き声、そうした外部環境はいつもと何ら変わることがない。
いつもと異なるものは、私の内面世界だ。込み上げてくる旅に対する期待感を落ち着かせるような静かな感覚が内側を流れている。
新たな土地に行く時は、決まっていつもこのような不思議な感覚が内側を流れる。昨年の欧州小旅行の時もそうであったし、デン・ハーグへの日帰り旅行の時もそうだった。
また、オランダに向けて日本を出発したあの朝もそうだった。今、この瞬間に流れている期待感の粒子だけを取り出したような静かな感覚は、私にとって、出発を知らせる本質的な感覚だと言っていいのかもしれない。
何かに向けて出発する時、この感覚がいつも私の内側に顔を見せる。これは確かに出発を知らせる感覚であると同時に、自分がもはや出発したことを知らせるものだとも思うのだ。
私たちが出発を思う時、私たちはもはやすでに出発しているのではないだろうか。そのようなことを考えると、この感覚は、出発を知らせる呼び鈴ではなく、出発したことを祝す合図とみなしてよいのかもしれない。
出発したことを祝す感覚に包まれながら、私は旅行用のスーツケースに最後の荷物を積み込んだ。出発を祝う感覚を追いかける形で、もう少ししたら、ゆっくりと自宅を出発したいと思う。
自分の全ての感覚を開きながら、ウィーンとザルツブルグの街に溶け込みたいと思う。出発したことを真に祝うのは、ウィーンとザルツブルグの滞在を通じて、自分の内側に変化が見られた時なのかもしれない。
その瞬間に向けて、今から出発したいと思う。2017/4/3