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893. 文章の執筆について


昨夜は、いつもよりも幾分長い睡眠時間を取った。現在取り掛かっている諸々の仕事が順調に進み、その順調さを支えていたのは献身であったため、その返報として少しばかり余分に休息を与えられたのかもしれないと思う。

昨夜は夢の中で、印象的な体験をした。それは文書を書くことに関するものである。

夢の中で、私は何らかの論文を執筆しており、日本人の友人も同様に何らかの論文を執筆していた。その際に、一本の論文を書き上げるにはどれくらいの時間がかかるものなのか、という問いをその友人から投げかけられた。

その問いに対して、もちろん要求される論文の長さにもよるが、40ページほどの論文ということを前提に、まず私が普段行っている論文執筆のペースについて共有した。私は、一日に一、二ページほどの文章をコンスタントに執筆していくという方法を採用している。

これは無理がなく、それでいて着実に執筆を進めていくことができる方法だ。ただし、この方法を適用するためには、文章を書くという行為を毎日の習慣にする必要がある。

そうした習慣化ができなければ、文章を毎日書きながら論文を完成させることはできない。実は、学術論文を執筆する際に、引用の仕方や文章間のスペースなどを含めて、様々な決まりごとがあるのだが、今のところ、私がこれまで執筆してきた論文はAPA(American Psychological Association)スタイルと呼ばれるものだ。

その他にも、シカゴスタイルなどが有名な論文作法である。APAスタイルを採用する場合、文章はダブルスペースで執筆していくことが要求されており、実は、一ページの文字数は多くて300字ほどである。

そのため、毎日、300字の文章を書いていくことは、分量的に見れば、それほど大変なことではない。問題はそれを習慣化できるかどうかにあると思う。

幸運にも、欧州での生活を通じて、文章を書く意味の核をほぼ掴んでからは、文章を書くことを意識することなく、自然と毎日文章を執筆するようになった。そのおかげで、毎日、英語の論文を一、二ページほど書き進めていけば、二ヶ月もあれば十分に40ページほどの文章を書き上げることができるのだ。

正直なところ、わずか300字に満たない一ページを常に執筆しているかというと、そうではなく、時にはわずか50字の時もあれば、これまでの文章を修正するだけの日もある。だが、重要なことは、毎日文章を書くという行為そのものの中に宿っているように思える。

絶えず文章を書くという行為を行なっていれば、論文を執筆することは苦行でもなんでもなく、精神の安定と鍛錬をもたらす習慣になっていく。そのような話を夢の中で友人にした後に、但し書きを付け加えていた。

時に、論文を書き上げる際に、何をどのように書けばいいのかの全体的なストーリーが全て頭に描けている場合、一日か二日で40ページほどの文章を書き上げることができる、ということを友人に伝えた。これは、自分が何らかの文章を書こうという意思を超えて、文章の方が姿を現さずにはいられない時に生じる現象である。

それを書かずにはいられないような止むに止まれぬ衝動に突き動かされる時、一日か二日のうちに、大きなまとまりを持つ文章が一挙に姿を表すことがあるのだ。とりわけ学術論文の場合、先行研究を引用する必要があるため、論文や専門書を引用しながら文章を執筆していく必要がある。

こうした引用は、思いの外時間を要することが多い。だが、その領域に関する知識が豊富にあり、どのような論文と専門書を引用する必要があるのかを含め、論文の構成から流れに関して、全て一つの総体としてイメージができていれば、上記のように極めて短い時間の中で初稿を書き上げることができると思う。

そこには、文章を書こうとする意思よりも強烈な働きかけが必要であり、自分が書こうとする内容が、自らこの世界に何としてでも生まれ出てこようとするような作用が不可欠だと言える。そのような形で文章を書くこともある、ということを友人に伝えた。

この夢から目覚めた時、書くという行為について、これからも考えを巡らせていく必要があると思った。文章を書くという行為の中には、今の私には見えていない様々な現象があるような気がしてならない。

それらを発見するために、今日も明日も文章を書き続けていこうと思う。20173/31

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