今日は夕方から、ケン・ウィルバーの “The eye of spirit (2001)”を久しぶりに読んだ。今朝方に、本棚からこの書籍を手に取ったのは、決して偶然ではなかったのだということに、本書のある記述に行き着いた時に気付いた。
昨夜途中まで書き留めていた夢に関する日記を今朝書き足し、その後に、ふとこの書籍の背表紙に引きつけられるものがあり、本書を手に取った。ウィルバーの書籍は、本文のみに注目が当てられがちだが、本人が語っているように、ウィルバーが主張したいことや興味深い観点などは、本文以上に脚注の中に盛り込まれている。
そのため、夕方から脚注を中心に読み進めていた。すると、ウィルバーが夢の解釈について説明をしている箇所にたどり着いた。昨夜から今朝の日記にかけて、夢について少しばかり考えを巡らせていたがゆえに、この箇所を食い入るように読んでいた。
夢の中で現れるいかなるシンボルも、単に無数の意味を水平的に持ち合わせているだけではなく、一つのシンボルには意識の階層構造に応じた垂直的な無数の意味がある、という記述に対して、閃くものがあった。
この記述の意味内容自体は、発達理論を学んできた者にとっては、何ら目新しいものではないだろう。だが、その意味内容を自分の体験を通して理解することと、知識的にそれを理解することはやはり次元が異なる。
一つのシンボルに、垂直的な構造特性があり、複数の意味が重層的に存在しているということを、私は少し見落としていたように思う。シンボルが持つ水平的な複数の意味を探究するだけではなく、上下に運動する形で、シンボルの重層的な意味を解釈していく必要があると改めて思った。
階層構造の下から上へ辿るように、今後の夢の中で現れるシンボルが持つ意味を自分なりに解きほぐしていきたいと思う。ウィルバーの書籍に目を通した後、少しばかり過去の日記を読み返していた。
気づかないうちに、オランダに来てから随分と日記を書き留めてきたのだということに気づかされる。オランダでの二年目、三年目が、自分にとってどのような意味を帯びてくるのか、今は想像もつかない。
どのような意味を帯びるのかはわからなくても、一つ確実に言えることは、二年目も三年目も、自らで意味を見出し、意味を構築し続けていくということだ。そのために、私は今後も日記を書き続けるだろう。
そのようなことを思いながら、視線を書斎の窓の方向へ向けた。すると久しぶりに、赤いホログラムのように輝く夕日を見た。
その夕日が、オランダを象徴する平坦な土地の遥か彼方まで伸びている様子が見えた。久しぶりにこの輝きを持つ夕日を見た時、本当に新たな季節が始まると思った。
それは間違いなく、私の内側の新たな季節の到来を予感させるものだった。2017/3/24