モネの絵画が醸し出す色彩感覚を彷彿させるような夕暮れの空が、食卓の窓から目に飛び込んできた。
あるいは、ドビュッシーのピアノ曲の旋律が映り込んだかのような夕暮れの空が、食卓の窓の外に広がっていた。その夕暮れの空に溶け込むことができたらどれほど心地よいだろうか、と思った。
そう思った瞬間に、私はすでにその空に溶け込んでいることに気づいた。これが人間の認識の持つ力だろう。
毎日毎日、その日一日というのは、自分にとって結局何だったのかを内省させられる。毎日は何ものでもなく何かであるのは間違いないのだが、結局、そのような雲をつかまされたような感覚で毎日を終える。
だが一方で、私は確かに、自分の存在を取り巻く意味の総体のようなものに絶えず腰掛けているような不思議な安堵感に包まれるのだ。もしくは、何ものかに絶えず見守られ、ゆりかごのようなものの中で日々の活動に従事しているような感覚がするのである。そのようなことを、夕暮れ時のフローニンゲンの空を見て思った。
昨日は、「複雑性とタレントディベロップメント」のクラスが終わった後、ひょんなことから、グループワークをいつも一緒に行っているオランダ人のピーターの自宅で夕食を食べることになった。ピーターは、私にとって一番仲の良いオランダ人の友人だ。
ピーターの自宅で夕食を食べることになった経緯は、そもそも、その日のグループワークの最中に、最終課題に向けた実験に協力してもらう被験者が突如実験に参加できなくなり、インドネシア人のタタに依頼をしたことから始まる。
ピーターと一緒に最終課題に取り組んでいるのは、ドイツ人のフランであり、二人の共同研究テーマは、ピアノ経験のある二人とピアノ経験のない二人が即興演奏を行った時、お互いにどのようなプロセスでピアノを奏でるのかを調査するものである。
ちょうどタタは、五歳からピアノを習っており、銀行に就職してからも、休日はジャカルタの街の子供たちにピアノを教えていたそうだ。そうした経験を買われ、ピーターとフランの実験で欠けた被験者を補うために、タタに白羽の矢が立ったのだ。
クラス終了後、タタと最終課題について話し合っていたところ、ピーターからタタと一緒にうちに来て、実験が終わったら夕食を共にしないか、という誘いを受けた。その日の夜は特に何も予定がなく、ピーターやフラン、そしてタタとは非常に仲が良いため、彼らと一緒にピーターの自宅に行くことにした。 ピーターの自宅に着くと、彼のルームメイトと実験の被験者がその場にいた。彼らに挨拶を済ませたところで、早速実験を開始することになった。
私はもちろんこの実験に関係がないため、単に観察をしていたのだが、実に面白い実験だと思った。ピーターの自宅にはピアノはなく、実験で用いたのはMacに備え付けられているGarageandというソフトウェアの中にあるピアノだ。
最初にタタと、フローニンゲン大学の音楽学科の修士課程に在籍するピーターの友人が即興演奏を同時に行った。二人はピアノの経験者であり、確かに最初はお互いに様子を見ながら即興演奏をしていたのであるが、ある時から、二人の奏でるリズムがシンクロナイゼーションするという現象が起こり始めたのである。
これは見ている側にとっても大変興味深いものであり、その演奏に聞き入りながら、私は幾分感動していた。二人がパソコン越しに向き合い、ヴァーチャルピアノを演奏する様子は少しばかり馴染みのないものだが、二人が奏でる調和のとれた演奏は、とても興味深い現象だった。
二人の演奏が終わり、別の二人組みの演奏が終わったところで、ピアノ経験のないピーターと私も試しに即興演奏をしてみた。すると、先ほどの経験者の二人のように、うまくシンクロナイゼーションが起こらない。
実は、この実験に関して、シンクロナイゼーションを起こすことを被験者に求めていたわけでは決してなく、そのような指示を実験前にしていない。だが、私とピーターは意図的にシンクロナイゼーションを起こそうと試しに演奏をしてみたが、それでもなかなかうまくいかなかった。
その後、タタに話を聞くと、ピアノ経験者は演奏理論というものが頭の中にあり、ある音が奏でられたら次に奏でられるはずのない音が何なのかを分かっているとのことであった。ピーターと私にはそのような理論がないために、二人の演奏は一向に調和のとれたものになることはなく、混沌としたものだったと考えることができるかもしれない。
もちろん、ピーターと私の演奏においても、シンクロナイゼーションのような現象は見られたが、それは一時的であり、永続的なものではなかった。この経験を通じて、私は、音楽理論だけではなく、あらゆる領域において理論として結晶化されたものの存在が、光の束に思えて仕方なかった。
こうした光の束があるのかないのかによって、この世界に調和が生み出されるのか否かが決定されてしまうかのようなことまで思ったのだ。何気なく立ち寄ったピーターの自宅でこのような経験をすることになるとは思ってもみなかった。
この件については、まだ書き留めておきたいことがあるため、また折を見て気づきを記しておきたい。2017/3/23