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850. 発達理論に関して進展のないインテグラルコミュニティー


午前中の最初にネットワーク科学に関する専門書を読んだ後、当初の計画であれば、現在の私の研究で活用している非線形ダイナミクスの手法である「交差再帰定量化解析」に関する一つの論文を読む予定であった。

何のきっかけか、久しぶりに、米国の発達論者ケン・ウィルバーが提唱したインテグラル理論関連の論文を掲載しているジャーナル、 “Integral Review”に目を通していた。私がジョン・エフ・ケネディ大学院に留学していた当時は、随分とこのジャーナルにはお世話になったように思う。

当時の私は、インテグラル理論を体系的に学ぶことのできる修士課程に在籍していたこともあり、なおかつ、成人発達理論に関心があったことから、このジャーナルに掲載される論文は、まさにそうした関心と大きく合致するものであった。

当時は特に、ロバート・キーガンが提唱した構成主義的発達心理学の枠組みについて強い関心を持っており、そこから派生して、スザンヌ・クック=グロイターやオットー・ラスキーらの発達理論を熱心に学んでいたことを懐かしく思う。

もちろん、今でも彼らが執筆した論文や専門書から、考えさせられることがあるのは確かである。だが、先ほど “Integral Review”に掲載されている直近三年間の論文に目を通したところ、私が彼らの発達理論を学んでいた当時と比べて、ほとんど進展がないように思えたのだ。

例えば、発達論者のテリー・オファーロンが、クック=グロイターの発達モデルを拡張し、発達段階6.5を提唱していることなどは、学術的な観点からすれば大変興味深いものの、とても些細なことのようにも思える。

また、キーガン、クック=グロイター、ラスキー以外にも、近年日本でも注目を集めつつあるビル・トーバートにしてみてみも、階層的複雑性モデルを提唱したマイケル・コモンズにしてみても、彼らの理論モデルに言及したIntegral Reviewの論文には、ほとんど新鮮さがないのだ。

インテグラルコミュニティーにおける発達理論が、こうした停滞感を持っている原因の一つとして、結局のところ、人間の発達現象を構造的発達心理学や構成主義的発達心理学という、限定的な枠組みを通じて捉えていることが挙げられるだろう。

今の私がシステム科学やネットワーク科学の探究に乗り出したのはそもそも、発達理論を牽引してきたインテグラルコミュニティー内において、人間の発達を捉える枠組みが非常に限定的であり、多くのことを取りこぼしていることに気づいたからである。

当然ながら、何かを探究する際には、観点を特定して、それらの観点を深掘りしていく必要があるのだが、インテグラルコミュニティーが発達理論に対して持つそれは、観点の限定化に留まり、何らの進展を見せていないような状況なのだ。

その際たる例が、直近三年分のIntegral Reviewに掲載されている一連の論文に如実に現れている。私が以前に在籍していたマサチューセッツ州のレクティカのモデルは、今も実務的には最先端の発達測定手法だと思っている。

しかしながら、レクティカのモデルも結局のところ、既存の構造的発達心理学や構成主義的発達心理学の枠組みに留まるものであり、私がレクティカに在籍していた頃と比べてみても、そのモデルが進化しているという様子を見てとることができない。

人間の発達現象を動的なものとして捉えるダイナミックシステムアプローチの観点からすれば、改善の余地が残されているのは明らかだ。

フローニンゲン大学に来てから気づいたことだが、レクティカのモデルは、実務的には最先端のものであるにもかかわらず、それを用いて発達研究をしている研究者が最先端の発達科学の世界においてほとんどいないのは、そのモデル以上に洗練された手法が応用数学のダイナミックシステムアプローチや非線形ダイナミクスの手法にあるからなのだと思う。

発達理論の進展に寄与してきたインテグラルコミュニティーは、どうやら岐路に立たされているようだ。彼ら自身がそうした停滞感を乗り越えていくためには、構造的発達心理学や構成主義的発達心理学の段階モデルだけを用いて発達現象を捉えていてはならないだろう。

発達理論を探究する上で、インテグラルコミュニティーは私にとって不可欠な存在であったがゆえに、現在の停滞ぶりは非常に残念に思う。そして、上記の研究者たちが提唱した発達理論が、ようやく紹介され始めている日本の状況が今後どのように進展していくのかは、もう少し様子を見る必要があるだろう。2017/3/19

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